僕が本当に本当に辛かったこと

僕が脳出血で半身不随になって本当に辛かったことは

身体が不自由になったり、痺れや痛みなどの身体的なことなどではなかった。

その結果として後に起こったいろいろな出来事だった。

そしてその結果、さらに起こった身内の揉め事・・

そしてそれらの処理だった。



脳出血で倒れたとき僕はサラリーマンでは無かった。

そのことが後で大きな負担となった。

簡単にいうと一つは会社の清算という決断の苦しみだった。


会社の清算=借金が残る


その数千万の借金がこの半身不随の身体にのしかかってきた。。

たかが数千万といえど

半身不随という身体になってしまっては身体の不自由さを


受け止めることで精いっぱいだった僕にとてもそんな借金など返せる自信はなかった。


倒れる前の僕だったら日雇いの土木作業員でもして一生かかっても返す

というような気力も沸いたであろう。

でもとてもじゃないけど、こんな身体で数千万の借金を抱えて生きていく自信はなかった。

このままだと間違いなく妻子を路頭に迷わせてしまうと思った。

自死した方が楽だ。

そしてその保険金で借金を返そうと考えたことも無理はなかった。

そんな苦しみに苦しんだ末、選んだ選択が

会社の破産であり

自己破産だった。

この処理とてもこの身体には荷が重かった。

この身体で破産処理をすることの精神的重圧は想像を絶するもので、

僕を身体的にも精神的にも苦しめた

たくさんのものを失う決意を迫られた。

痺れる身体での債権者からの督促対応

弁護士事務所へ痺れる重たい身体で足を運ぶ日々が続いた。

破産する場合、現金預金は99万円以下にしなければならない。

弁護士事務所に今日だけでも日々お金が減っていった。

おまけに弁護士事務所の打合せもいろいろなネガティブな決断を迫られ、精神的に追い込まれていった。

健康な身体でも辛い作業である。

それを半身不随という自分でも受け止めきれない状況の中で進めざる得なかった。

辛かった。

本当に・・

サラリーマンの方には失礼かもしれないけど、

サラリーマンだったら良かった・・

と何度思ったことか。

社長だったから、労災もなく、

「多少身体が動くようになったらできる仕事から復職」

なんていうこともあり得ない。

半身不随の肩にのしかかる借金・・とその処理、

しばらく養生して・・・などということ許されなかった。

そんな状況で生活の先が見えない中で、身内の揉め事が起こった。

原因は5歳だった息子に僕のモヤモヤ病が遺伝していたことが発覚したことだった。

手術をするかしないか

脳の細い血管の吻合手術リスクの高い手術だった

辛い決断だった。

僕は精神的に追い詰められつつあった。

これから生きていく術が見つからなかった

いやどんどん術が消えていったという状況だった

真剣に自死を考えた。

その頃自宅のベッドの下に牛刀を隠していた。

本気で割腹を考えていたから・・

そんな状況をなんとか乗り越えて今の僕がある。

そのころに比べれば今は信じられないほどの天国だ。

よくぞここまで這い上がってきたものだ・・と我ながら感心している。

身体の障害そのものよりもこういった状況乗り越えることができた僕に感心している。

その頃自分自身を精神的に支えるために唱えた言葉がこのブログの冒頭の言葉である。