障害を個性と思えるまで・・

先日、ある会社の社長から僕のことを「障害者」ではなく僕の障害を「個性」と思っている

と言われた。

そういえば「五体不満足」の著者の乙武さんも同じようなことを

言っていたことを思い出した。

個性か、、僕には正直まだまだ難しい。

左手足が思うように動かないことは僕にとっては

まだまだ僕の行動の行動の邪魔をする「障害」としか思うことができない。

なぜなら僕も脳裏には思い通りに動いていた左手足の記憶が鮮明に残っているからだ。

乙武さんは先天性だからそんな記憶は無いだろう。(だからと言って乙武さんのことを僕よりも辛くな

いと言うつもりはない。小さい頃から他人と違う自分に苦しんでいただろうと思うけれど、だだ僕には

その辛さを理解することはできない)

しかも僕は思い通りに動いている右半身がすぐ横に存在するのだ。

だから思い通りに動かない左半身が余計に歯がゆく感じてしまう。






でも今日、少しは「個性」になりつつあるのかもしれないと感じたことがあった

それは今日電車に乗るときだった。

切符を購入して自動改札機まで持って行くとき、

僕の右手は杖を持つ必要がある。左手は全く動かない。

だから切符を自動改札機まで持って行くための手がない。

阿修羅なら手が6本あるから一本くらい麻痺してもできるかもしれないが・・(笑)

いつもこういうときは右手で杖を持ちながらはその右手の空いた指に挟んで落としそうになりながら

持って行く。

でも今日は咄嗟に切符を口にくわえて自動改札機まで無意識に持って行った。

障害を負った当初は口を使うなんて「恥ずかしい」とか「みっともない」という

気持ちがありそんなことはできなかった。

なのに今日は無意識にしかも咄嗟に左手の代わりに口を使っていた。


「左手の代わりに口を上手に使う」という「個性」になってきたのかな?と感じた。

それでもやっぱり左手足が思うように動かないのは辛い。

本当にそれを「個性」と思えるようになるまでにはまだまだ時間がかかりそうだな。


手足が不自由なことに対してはなんとか対処できつつあるけれど、

疼痛の痛みと痺れだけはどうにもならないくらい辛い。

いっそのこと左手足を切り落としてほしいと思うくら痛いから・・

この痛みは精神まで蝕んでしまいそうだ。。

こんな痛みや痺れもいつか「個性」として受け入れることができるのだろうか