僕は今、ポジティブな孤独に苛まれている
ポジティブな孤独?
なんだ一体それ?と思われる方もいるでしょう。
当然です!僕が作った造語だから・・誰も知るわけがない・・笑)
僕は孤独にはネガティブな孤独とポジティブな孤独の二つがあると思っている。
これは僕の経験上から感じていることだ。
ネガティブな孤独とは僕が3年前脳出血で半身不随となったとき
まともに動くこともできず、「自分はもう何の役にも立たない人間になってしまった」
と感じながら1日中ベッドに横たわっていたときに感じた強烈な孤独である。
「自分はもう何の役にも立たない人間になってしまった」と感じることは
生きて行く上で「人とのつながり」を断たれてしまったという感に襲われるものだ。
実に孤独だった。
こんなに孤独なら生きている意味がないと感じた。
死んでいるのも同然だと思った。
本当に死にたいと思っていた。
こんな孤独な「ネガティブな孤独」であると思う。
でも今は何とか「人とのつながり」を持ち始め「ネガティブな孤独」からはかなり脱却
できていると思う。
でも今、孤独から脱却するために自分の心の中に持った希望と志が逆に僕を孤独にすることがある。
なぜなら今僕が持っている希望や志を理解してくれる人がほとんどいないからだ。
もし僕の志を人に話しても馬鹿にされることが分かっているから、、
ブログに書くことでそんな孤独から逃れようとしている。
人に話しても
おそらく「そんなことは不可能だ。夢を見ているんじゃないか」といわれるだろうから・・
でも僕はその志の先にある着地点のイメージを頭の中でカラーで描写できている。
だから、>実現できないはずがないと僕だけは思っている。
京セラの稲盛氏が自著でのの事業を成功に導くためにはその成功したときのイメージを細部まで
カラーでイメージできるかどうかだと書いている。
僕は僕の志の先にあるイメージを、そしてそこに向かうためのステップも細部まで
カラーでイメージできている。
だから絶対に実現できると思っている。多分自分だけだと思うが・・
自分の持つ志や希望に対して自分だけしか「理解者」がいない。
こんな孤独である。
でもこんな孤独を持っているときはネガティブな孤独の時とは違い、
あるときは
「絶対に実現できる!」「実現してみせる」というポジティブな気持ちになったり
またあるときは
「やっぱり無理かな」「ホラ吹きになってしまうかな」というネガティブな気持ちを
行ったり来たりするものだ。
3年前のネガティブな孤独とは全く違う孤独だがそれはそれで辛いものだ。
僕の考えている志はとてつもなく大きな大きな夢だけれど、その第一歩を踏み出すのは
僕しかいないのだ。小さな一歩にすぎないかもしれないけれど、人から見れば
そんなスピードではいつまでたっても辿り着けないと思われるかもしれないけれど
その一歩がなければ、それこそ永遠にたどり着けなくなってしまうではないか。
だからこそ実際の身体は手足も不自由で普通の人の一歩も歩けないけれど
僕しか踏み出すことができない一歩だから、周囲には理解されず孤独だけれど
自分だけを信じて踏み出そう
ポジティブな孤独?
なんだ一体それ?と思われる方もいるでしょう。
当然です!僕が作った造語だから・・誰も知るわけがない・・笑)
僕は孤独にはネガティブな孤独とポジティブな孤独の二つがあると思っている。
これは僕の経験上から感じていることだ。
ネガティブな孤独とは僕が3年前脳出血で半身不随となったとき
まともに動くこともできず、「自分はもう何の役にも立たない人間になってしまった」
と感じながら1日中ベッドに横たわっていたときに感じた強烈な孤独である。
「自分はもう何の役にも立たない人間になってしまった」と感じることは
生きて行く上で「人とのつながり」を断たれてしまったという感に襲われるものだ。
実に孤独だった。
こんなに孤独なら生きている意味がないと感じた。
死んでいるのも同然だと思った。
本当に死にたいと思っていた。
こんな孤独な「ネガティブな孤独」であると思う。
でも今は何とか「人とのつながり」を持ち始め「ネガティブな孤独」からはかなり脱却
できていると思う。
でも今、孤独から脱却するために自分の心の中に持った希望と志が逆に僕を孤独にすることがある。
なぜなら今僕が持っている希望や志を理解してくれる人がほとんどいないからだ。
もし僕の志を人に話しても馬鹿にされることが分かっているから、、
ブログに書くことでそんな孤独から逃れようとしている。
人に話しても
おそらく「そんなことは不可能だ。夢を見ているんじゃないか」といわれるだろうから・・
でも僕はその志の先にある着地点のイメージを頭の中でカラーで描写できている。
だから、>実現できないはずがないと僕だけは思っている。
京セラの稲盛氏が自著でのの事業を成功に導くためにはその成功したときのイメージを細部まで
カラーでイメージできるかどうかだと書いている。
僕は僕の志の先にあるイメージを、そしてそこに向かうためのステップも細部まで
カラーでイメージできている。
だから絶対に実現できると思っている。多分自分だけだと思うが・・
自分の持つ志や希望に対して自分だけしか「理解者」がいない。
こんな孤独である。
でもこんな孤独を持っているときはネガティブな孤独の時とは違い、
あるときは
「絶対に実現できる!」「実現してみせる」というポジティブな気持ちになったり
またあるときは
「やっぱり無理かな」「ホラ吹きになってしまうかな」というネガティブな気持ちを
行ったり来たりするものだ。
3年前のネガティブな孤独とは全く違う孤独だがそれはそれで辛いものだ。
僕の考えている志はとてつもなく大きな大きな夢だけれど、その第一歩を踏み出すのは
僕しかいないのだ。小さな一歩にすぎないかもしれないけれど、人から見れば
そんなスピードではいつまでたっても辿り着けないと思われるかもしれないけれど
その一歩がなければ、それこそ永遠にたどり着けなくなってしまうではないか。
だからこそ実際の身体は手足も不自由で普通の人の一歩も歩けないけれど
僕しか踏み出すことができない一歩だから、周囲には理解されず孤独だけれど
自分だけを信じて踏み出そう