叔父はさぞ無念だっただろう。

8月15日、お盆に僕の両親の実家(福井の越前付近の山の中)に

脳出血を起こしてから初めて3年ぶりに墓参りに行ってきた。

久々に見る田舎独特の大きな屋敷。

久しぶりに中に入ってみて、目に飛び込んできた。

私の叔父の似顔絵の掛け軸だ。

旧日本帝国陸軍の軍服姿だ。

その顔は微笑んでいる。

とても優しそうな顔だ。

その叔父は私の母の1番上の兄である。

もちろん僕は実際に顔など見たことがない。

第二世界大戦中に旧満州で戦死したからだ。

徴兵されたのは19才だったという。


そんな叔父が僕を見つめているような気がした。

僕に何か言いたげに見えた。

僕の祖母は僕が12歳の時に既に亡くなっている。

その祖母がいつもその1番上の長男の自慢話を

していたことを覚えている。

とても優秀で頭が良かったらしい。

それだけでなく親孝行で9人兄弟の1番上の兄として

一家を支えるための自覚があったという。



越前海岸で怪我をした人を背中に背負って崖を登り、

助けたことがあるという人だ。

村でも英雄だったという。

いつもベタ褒めだった。

でも祖母が死ぬとき、口にしたのはその叔父の名前だった。

幼かった僕にはわからなかったけど、本当は叔父の話を

することは死ぬほど辛かったに違いない。

最愛の息子を、しかも優秀で自慢できる人間で親孝行だった

という息子を戦争で失ったのだ。

何も悪いことなんてしていないのに・・

なぜ死ななきゃいけなかったのだ!

祖母はそんな想いだったのではないか。

そんな思いが頭を駆け巡り、掛け軸の叔父の微笑みが目に入った。

19歳という若さでさぞ無念だったに違いない。

頭が良かったということだからきっとあの戦争で日本が負けることも

分かっていたかもしれない。

それでも出征していたのだ。

そして戦死。

どうやって戦死したのかは分からない。

でも銃弾を浴びて死んだのだとしたら、

その瞬間、どんな気持ちだったのだろう。


それを思うに付け、これしきの障害で苦しんでいる自分が情けなく感じてしまう。

若き叔父の微笑みが「負けるな」と言ってくれているように感じた。

19歳の若き叔父の微笑みが僕に勇気をくれたような気がした。

そして微笑みの奥に叔父の無念を感じ取ってしまった。

$俺はまだ生きている!脳出血で半身不随になった元IT系社長の中途障害者としての生き方