我欲

自我

僕は本当に無私無欲になりたいのだろうか


無私無欲になることで苦しみから逃れることができる。

無私無欲になることで我欲を捨てることができ、冷静で客観的な

思考ができると考えていたけれど、

僕は自分が役に立たない人間になってしまったのではないか

と感じることにに対して恐怖を感じ、障害者でも役に立つ人間でありたい。

と考えて少しでもそうなれるようにこの約3年間必死でがんばってきたつもりだ。


でも障害者でも役に立つ人間でありたいと思うこと自体、

僕の「役立つ人間でありたい」という我欲に過ぎないのではないだろうか。


もし今左手や左足が健常者の時のように動いたら、

霞が関を走り回りたい。

思いっきり仕事をしたい。

素早くキーボードをたたいて作りたいの資料が沢山ある。

いろいろなところにをも持って行きたい。

仕事に走り回りたい。



そしてもう一つ


もし今左手が健常者の時のように動いたら、

息子に水泳を教えてあげたい

息子を抱っこしてあげたい、

もし今左足が健常者の時のように動いたら

息子と走り回りたい。


もし左半身に痛みも痺れもなかったら

あるいは無私無欲の心になることで、

その痛みや痺れを乗り越えることができているなら、


痺れや痛み強い午前中妻や息子に対し、辛そうな姿を見せることもなく、

不機嫌であることもなく、笑顔で接することができるだろうにと思う。

でもそんなことが息子や妻にとって幸せなのだろうか

そんなことが父親として、夫として役に立つことなのだろうか

単に僕の勝手な我欲にすぎないのではないだろうか


苦しみから逃れるため無私無欲になりたいということ自体

我欲なのではないだろうか

僕の無私無欲になりたいという思いはそんな我欲なのかもしれない。


それでも良いじゃないか。

杖をつきながらヨタヨタと街を歩きながら僕は思う、、


道行く人々の、すれ違う多くの人々よりも


少なくとも僕は必死で生きている。

毎日を精一杯生きている。

「役に立ちたい」という思いは我欲にすぎないかもしれないけれど、


そのためにこの体でできることは精いっぱいやっている

それだけは絶対に負けない。

いつまで続けることができるか分からないけれど、

精いっぱい頑張ればそれで良いじゃないか。




たとえ結果が出なくても、


精一杯生きたという自信を持つことができることが、

僕にとって最も幸せなんだから、、、




それさえできていれば最期の瞬間に少しでも笑顔を作ることができるだろう。

少しは自分の人生に誇りを持つことができるだろう。


どんなに辛い人生を歩んでも、どんなに能力がなくなってしまっても、

そんな自分ができる限り精いっぱい生きることができたと感じることができることが、

最も幸せなことではないだろうか

それこそが今の僕の最大の望みだと感じている。