左手の記憶

僕の左手は全廃で全く動かない。

全ての作業は右手にする。そんな風にしなければならなくなってもう3年近くになる。

今朝、いつものよう洗面台で歯を磨こうと

いつものように右手で歯ブラシを台の上に置き、

いうものように右手で置いた歯ブラシの上に

いつものように右手チューブを絞って出てきた歯磨きを乗せようとしたときだった。

「突然、左手が動かない!」と「感じてしまった!」

もう左手が動かなくなって3年近くになろうとしているのに、

頭の中で左手で歯ブラシのチューブを絞ろうとする左手の動きのイメージが、

突然沸いてきたのだ。


ああ、まだ僕の頭は動いていた左手のことを忘れてないのだ。


頭の中遠い昔の記憶が突然出てきたようだ。


そして歯磨きをしようとしたときに、咄嗟に頭は、左手が動くイメージをして

左手を運動させようとしたのだ。

にも関わらず左手は動かない。

そのことに頭が衝撃を覚えたようだった


「なぜ動かないのだ!?」

と・・


ふと左手を見て悲しくなった。。


僕の頭はこの左手を動かしたいんだろうな。。


僕の頭はまだ動かないことを「受け入れる」ことができていないのだと感じた。

右手だけでも生活できると思っている僕の心と裏腹に

頭は昔のイメージを覚えていて受け入れていないのだ。



障害受容??・・医師やセラピストは「受け入れなさい。」などと、


簡単に言うけれど、


そんな簡単なものではない。



45年間使い続けた左手の運動イメージが頭にこびりついているのだ。

それを無理矢理剥がせというのか、


無理だ!

そりゃそうでしょう

45年もの間、この左手は一生懸命に頭の指示通り働き続けてきたのだ。

僕は左利きだったから、頭の中に残っている運動イメージは強いのだろう。


だから咄嗟のとき未だに左手に動けという指示を出そうとしてしまう。

でも左手は動くことはできない。。

運動指示が伝わらないのか、それとも正しい指示ができないのか


いずれにしても左手自体は何の損傷もなく、けがもしていない。

きれいな左手だ。

なのに動かない。

不思議な感じだ。

この左手が頑張って動いているときのイメージだけが頭の中に残っているのだ。


何の傷もない「健常な」左手が目の前に存在しているからこそ


「動かせる」と感じてしまうのではないだろうか


そんな左手を見ていると、


とても疲れているようにも見える。

動きたいようにも見える

「動きたいのに動けない!」

そんなふうに言っているようにも見える


もう45年間も十分働いてくれたじゃないか。

僕のために。。

もう無理して動かなくて良いよ


お疲れ様・・45年間ありがとう 左手さん






でもまたいっしょに働きたいな 

いっしょにお茶漬け食べようよ。

左手が器を口まで運んでくれ、右手で箸を持ちお茶漬けをかきこむ・・


お茶漬けをスプーンで食べなくてもよくなる日、


いつかそんな日が来るかな・・・