村上春樹氏と日本政府とどちらが非現実的な夢想家 ?

村上春樹氏のカタルーニャ国際賞の受賞スピーチが話題になっていましたが、

僕は村上春樹氏のスピーチに少し疑問を持っている。

彼は日本の戦後を「効率至上主義」だとして、結果として核を利用した原子力発電
という方向に走ってきたと日本の方向性を批判した。

そしてそれを疑う(あるいは批判する)人は「非現実的な夢想家」とされてきたと

自分を弾圧されている思想家のごとくスピーチしていた。

僕が疑問を持ったのは村上春樹氏が本当に「非現実的な夢想家」なのだろうかという点だ。

視点を変えると、村上春樹氏の方が現実主義者でないか


と思うのである。

なぜなら捉え方を変えると「原発廃止」よりも「原子力発電の安全運営」の方が

「非現実的な夢想」とも言えるのではないかと感じたからです。

僕はもともとエンジニアだったから戦後の日本人エンジニアの方々がどれだけ苦労をして

不可能と思えるような技術開発をしているかを実感しているつもりだ。

エンジニアだった当時の僕の50歳代の上司の技術開発に対する「執念」たるや

すさまじいものがあったことを覚えている。

「そんなこと不可能だろう」と思うようなことを「何が何でも実現する」というような

ものすごい気迫で僕たち若い技術者を引っ張っていた。

それこそ僕たち若いエンジニアにとっては「非現実的な夢想」に見えたものだ。

村上春樹氏は原発反対派のようだが、「原発は危険だから止める」と言うのはとても

現実的」な発想ではないだろうか。

それよりも「安全な原子力発電の運用」の方が

はるかに難しい「夢想」ともいえるのではないだろうか。

そんな「夢想」に向かって努力してきたエンジニアの方々に失礼ではないかと感じた。

日本は世界が実現不可能だと思えるような技術を

エンジニアたちの必死の努力によって実現してきたのではないか。


・世界で初めて小惑星の物質を持ち帰った探査衛星「はやぶさ」の快挙



・世界で初めて宇宙ヨットを実現した火星探査機のイカロスの快挙



いずれも世界の人々がとうてい実現不可能な「夢想」だと思っていたこと

日本のエンジニアは実現したのではないか。



そんな現場を何も知らずに努力してきたエンジニアの方々を蔑ろにする発言のように思えた。

エンジニアだけでなく、

日本政府自体も村上春樹氏の論旨とは逆に

戦後一貫して「非現実的な夢想家」だったのではないだろうか。

戦争を放棄して軍隊をもたないという非現実的な憲法を持ちつづけ、
アメリカと違いこれまで一切武力を行使してこなかった日本政府の方が

「非現実的な夢想家」だったのではないだろうか。





いったいどちらが「非現実的な夢想家」 なのだろうか?


という疑問だけが僕の中に残った




そして僕自身も「非現実的な夢想家」かもしれないし、

そうであることがほとんどの人間にとって大きな生きる希望になるのではないかと思っている。

半身不随という障害者のくせに日本のモノづくり企業の海外を進出を支援するなどという

大それた事業を夢見ている「非現実的な夢想家」と思われているかもしれない。

でもそれは僕にとって生きるための大きな原動力になっている。

だから、誰になんといわれても、この身体で、できる限りのことはやるつもりだ。

それが自分で決めた自分という人間の役割であり、それを果たすことが、その道を

のことが僕の「生きる意味」だと思うから・・