言葉は何より最良の薬だ

痛みとは本当に苦しいものである

脳卒中の後遺症の疼痛というものはこの上なく辛く苦痛を伴う。

そして誰も分かってくれないという心の苦痛を伴う。


病者は現存する苦痛から逃れようとして、訴え、審査に耐え、薬物を服用する。

健常者だったころの様な快楽の追求などはは一切なく、不快感からの逃亡しかない。

自分自身で調節することができ、忍んで耐えられるときはまだ良い

この苦痛の根源を断ち切って独り立ちできるように医師を頼りに一切を預けたからこそ、

苦痛を伴う検査にも耐え、命じられるごとく薬を服用するものだ。

ただ、ただ苦痛や不快感から逃れる去ることしか考えられないのだ。

そんなとき、医師は自分の辛さをわかってもらっているはずだと考えるからこそ

全てをゆだねることができる。

逆に医師の言葉から共感を得られない(理解してもらっていない)と感じたとき

それこそ地獄である。

そんな時こそ医師や看護師や家族のいたわりやいつくしみの言葉がほしいものだ。

薬剤などよりずっと効果があるのではないか。

なぜなら言葉こそ心を癒してくれるものだから・・

痛みはは脳が作り出すものだという言ことは脳を患った僕はイヤというほど実感している。

少なくとも脳卒中の後遺症による疼痛はそうだ!


だからこそ心である壊れた脳を修復してくれるものはいたわりやいつくしみの言葉であると思う。

そこに心の安寧をみるとき、感動を与えられたとき不思議と痛みも痺れも和らぐからだ。

最先端の医療機器や医療技術のみを誇示する医師はいらない。


2年前に近くに出来た脳神経外科・・

看板には「マルチCT MRI完備」の宣伝文句の文字が並ぶ。

疼痛の苦しみを少しでも和らげてくれるかと期待し、診察に行った。

「よくわからないけどとても辛いのです」と訴えたとき、帰ってきた言葉

「よく分からないでは困る。何もわからないじゃないですか」

「とりあえずCTでも撮っておきましょうか」

こんな言葉は少欲しくなかった。。

この苦痛をどう表現していいか分からないから正直に「わからない」と言ったのである。

誰にもわかってもらえない苦痛と一人闘うということは孤独以外の何物でもない。

そんな時こそ、「言葉」が欲しいのだ。

言葉が最良の薬になるということを医師にもして欲しいものだ。