自分の、そして息子の生命力を信じる

生命力を信じる


僕は出血性のもやもや病なので、10年以内に再出血する確率が30%とか40%とか
非常に高いそうだ。

そのことは2年前の発症当時に言われた。

するよう言われた瞬間は、本当に目の前に「死」という文字がぶらさがった感じがした。

そして正直言って死をを恐れた。怯えに怯えまくっていた。

こんな杖突きでしか歩くことが出来ないような体ではちょっと階段を登るだけで
も血圧が上がって出血するんじゃないかなどとビクビクしていた。

情けない話だけれども本当にビビッてた。

もしもそのような精神状態のままだったら今の自分は無かっただろう。

ある日僕は父親から「お前は生命力がある人間なんだ。いざというときには助かる人間なんだ」
と言われたことを思い出した。

実は僕は生まれて3ヶ月で肺炎を患い、死ぬ寸前まで弱ってしまったそうだ。

当時の医師からも「もうこれ以上生きるのは難しいでしょう」と私の両親は言われたそうだ。
私の母に日記にもそれは残されている「初めての子供は死ぬかもしれない。そう考えるとおむつのウンチでさえ愛おしく感じる」そんな日記が書いてあったのを昔飲ませてもらったことがある。
するところが、僕は奇跡的に回復したのだ。
生まれて3ヶ月のことだから当然覚えていないけれど、その時のことを言って父は
「お前は生命が強い人間なんだ」と言われたことを覚えている。

その言葉を思い出して僕は考えを切り替えた。

よし、自分の生命力を信じよう。

確率がいくら高くたってそんなものは他人の統計でしかない。

僕ではないのだ。

僕は生命力があるに違いない。「生命力」なんてとても非科学的なんだけれど、

そう信じることが体に良い影響が出るのではないか

そんなことを思い、もう怯えることはやめようと決意したのだ。


だから今でも頭の片隅には「万が一のことがあるかもしれない」という思いはあるけれど

怯えることはしない。


もし、そんなことに怯えていたら、先日九州や石巻などに車で、しかも徹夜の強行軍で
行ったりすることは出来なかっただろう。
もしも本当に血管が非常に「ヤバイ状況」だったとしたら、12時間以上の徹夜のドライブなど
したら、すでに破れていただろう。

僕はなんだかんだ言って、自分の生命力を信じているところがある。


そして息子に関しても、その生命力を信じている。

僕のモヤモヤ病が遺伝しているけれど、そのことでおびえて生きていくような生き方なんて

可哀想じゃないか。

まだ幼い息子にはもやもや病のリスクというものがどういうものかしっかりと認識はできていないだろう

でももう少し大きくなればそのリスクを理解し、怯え始めるかもしれない。

でもそのときには僕が父親に言われたように言ってあげようと思う「お前は生命力が強い。だからおびえるな

そんな怯えた生き方をしても生きている意味がないじゃないか」と・・・

そして自分を信じろ・・と