心の限界


もう我慢出来ない!

もう限界だ!

本当に死んでしまいたい

この2年半そんなことを思い何度も自死を考えた。


でも僕は今、自死などすることなく生きている。

あの「もう限界だ」という感じは何だったのだろう。。


そのときは本当にもう限界だと感じていたと思う。


今思うとその「限界」とは本当に限界ではなかったんだと感じる。

自分が限界だと思うから限界だったのだ。

ただそれだけのこと・・・

心の限界なんて存在しないのではないだろうか。。

限界だと思う心が限界を作ってしまっているのではないだろうか。

自分で自分の限界を決め付けてしまっているのではないだろうか。

そんな状況を乗り越えられた秘訣は目の前に、自分に起こっている現象(限界だと感じる、辛いと感じる現象)

を何かのきっかけで別の角度から捉えることができたのではないかと感じている。

そんなときに限って、一つの道しか見えていないものだと思う。

その一つの道しか見えないから八方塞がりを感じてしまっているだけなのだろう。

富士山は西からでも、東からでも登ることができる
西の道が悪ければ、東から飲むればよい、時と場合に応じて自分に合った道を自在に使い分ければよいのだ。

にも関わらずなぜか人は一つの道にこだわりだがる。

こうであるべきだ。

こうでなければならない。

そんな「こだわり」が自分を追い込んでしまう

「こだわり」という言葉は、聞き方によってはとても崇高なものに聞こえることがある。

例えば「職人のこだわり」という言葉だ。

よくテレビ番組で「こだわりの職人技」などと伝統工芸品の職人さんを絶賛している

ような番組をやっていることがある。

しかし現実は、ほとんどの伝統工芸品のメーカーは苦しんでいるのが現状だ。


なぜか

それはその「こだわり」が大きな邪魔をしているからだと思う。

「こだわり」が臨機応変さを阻害しているのではないか。

だから限界が来てしまうのだ。

「もうダメだ」

実は他人から見れば全然「もうダメ」ではないのだ。

自分で勝手に決め付けているだけなのだ。

「こだわり」が心の柔軟性を無くしてしまっているのだ。

「自分はこうあるべきだ」

「こうあらねばならない」

そんなことを勝手に自分で決めつけて、自分で限界を作ってしまっているのだ。

僕も左半身が思うように動かず、左手は何も感じず、思うように歩けないようになってしまった。

そして「もう限界だ」と思ってしまうことが多々あった。


でも「健常者のように歩かなければならない」という勝手な「こだわり」が自分の心に限界を

感じさせてしまっているに違いない。


何も「健常者の様に歩かなければならない」などと誰も言っていないのにである。


高齢者のようにゆっくりでも良いではないか。


ゆっくりだと遅れてしまう?


ゆっくり歩くことで遅れてしまうなら、その分早く出発すれば良いだけではないか。


健常者と同じ時間に出発し同じ時間に到着しろなどと誰も言っていない。


もっと柔軟に考え知恵を出して工夫すればなんとでもなる。


「歯がゆい」なんて思っているのは自分だけではないか。


自分の心が勝手にそう思っているだけではないか。


心が限界と思ったら、本当に限界になってしまう。

そんな思い込みが自分の心を追いつめてしまうのではないだろうか。


心が諦めたら、そこで終わりだよ。