絆の力

たとえ根拠がなくても自分を信じて自分に自信を持って希望を信じる
そうして自信を持つことこそ、苦境の中で希望信じることができ、自分自身の心を前向きにし、意欲を燃やすことができるのだ、そんな意欲からこそた新たな知恵が湧き、前に進めるのだ。
そう信じてこの2年間、絶えず希望を信じ前に突き進んできた。

でも、こんな気持ちをひとりで持続し続けることはとても難しいものだ。

どうしても、日々の生活では痺れや痛みなどの苦痛に加え、お茶碗さえもつことのできなこの体の不自由さに苛立ちを覚えたり、過去を振り返るとこんな体になってしまったことが無性に悲しくなってしまい気持ちが萎えてしまうことが多々ある。

どうしても、どんなに努力しても・・・


自分一人では心を立ち直らせることが出来ないことがある。

そんなとき、人とのつながりの大切さを痛感する。

特に最近「絆」の持つ力のすごさを痛感する。

僕にとって「絆」とは相手を信じることだけでなく、相手から信じられていると感じることのように思う。

簡単に言うと「お互いに信じ合うこと」だ。


自分が自分自身を信じ、周りの人たちを信じることはもちろん周りの人から「信じられている」

と感じることが大切なように思う。

それは決して、相手に大きな約束をしてそれを守ると信じられているというようなことではなく、

何かあったときにこの人はそばにいてくれる、そして助言してくれる、そして悲しみも喜びも

分かち合ってくれる。

そんなことをお互いに信じ合えることだと思う。

それを感じることができないと心が孤独に陥ってしまう。

人は一人では生きていけない。。


僕はこんな体だけれども、

息子が僕に話しかける表情や姿を見ていると、父親である僕はこんな体で他のお父さんのように父親らしい遊びは出来ないけれど、それでも息子は僕をある意味意味で信じてくれてると感じることができるのだ。

きっと「お父さんは僕を守ってくれる」というように信じているような気がする。

そんなことを感じたとき、そこから僕の中にプライドが生まれる。父親としてのプライド。

そのプライドが、絶対に負けられないとか、諦められないという気持ちの炎を燃やしてくれる。

こんなプライドは一人で持つことは難しい。

こんな信じ合える関係こそが「絆」というものではないだろうか。

そのためには、相手から信じてほしいと望む前に、

まず自らが相手を信じるところから始めなければならないのだろう。

そんな「絆の力」のすごさを心に感じる今日この頃だ。