「無理」というのは人の心が作るもの

最近、自分が半身麻痺あることが当たり前になってきたような気がする

もちろん中枢性疼痛の痛みや痺れは辛い。

体が不自由なことによって出来ないことがたくさんあることも辛い。

でも最近なんだかそれが「当たり前」と言うか

「それが自分である」

という感じになってきているような気がする。

心のどこかで回復を諦めているのではないか。

不可能だと思って諦めているのではないか。

これはいけない。

無理だと思った瞬間に、

不可能だと思った瞬間にそれは本当に不可能になる。


「無理」というのは人の心が作るものだ。

「希望」も人の心の中に持つものだ。

だとしたら、

「奇跡」も人の心から生まれるのではないだろうか。


あきらめてはいけない。


あきらめてはいけない。


あきらめてはいけない。


何事も「必ず出来る」と信じよう。

自分の中で信じることさえできれば、他人がなんと言おうと

きっとそれはできるのだ。


そしてそれができれば、それを他人は「奇跡」というのだろう。



だから「奇跡」を起こそう。



そうだ「奇跡」を起こせるのは自分しかいないではないか。

自分が「無理」だと思った瞬間に、それは無理になる。不可能になる。