石巻市の惨状とひとり活躍していた飲料水化設備

石巻市に設置されている私のNPO法人の会員企業の海水の飲料水化設備
の稼働状況を確認するため、月曜日から昨日にかけて石巻市まで行ってきた。
月曜日に車で東京に入り、その会員企業のエンジニアをピックアップして、
東北自動車道を北上し、石巻に入った。

強行軍だった。神戸から車で石巻に入り、設備を確認して、そのまま
NPO法人にまだ十分な運営資金がないため)高速道路を使わずに、日本海に抜け
一般道(113号線や8号線)を通って25時間仏部ぶっ続けで走り遠し
昨夜23時ごろ神戸にたどり着いた。
半身麻痺の僕は当然運転などできなかったがNPO法人のスタッフが頑張って
運転してくれた。25時間も助手席に座っているというのもツラかった
麻痺側の左半身が硬直し、しびれがひどくなってしまった。・

石巻市・・


そこはまさに惨状でした。
テレビで見ているだけではわからない惨状がそこにはありました。

テレビでは放映されないが、未だに死体が流れ着くそうだ。。
子供の死体も流れ着くそうだがどうにもできないそうだ。

本当に悲惨だ。。

石巻市のほとんどは地震により地盤沈下が起こったため、冠水状態だった。]







私が過去に体験した阪神大震災と全く違った光景だった。

阪神大震災のときには、倒壊した家屋があったので、「そこに何があったのか分かる状態」
だったが、今回の石巻市は見る影もなく、いろいろな残骸があちこちに積み重なっているだけであった。




信じられない光景だった。津波とはこれほど恐ろしいものなのか。。。

ただそこで会員企業の海水の飲料水化設備だけが頑張って稼働していた。

まだ俺は生きている!脳出血で半身不随になった元IT系社長の勝手気ままな独り言日記


素晴らしい設備だった。

以下の動画のように、どんどん飲料水が出てきていた。







これだけの飲料水があれば、かなりの被災者の飲料水の確保ができているだろうと思った。



しかし・・


その企業の責任者の方が言っていたのだが、

飲料水は基本的に自衛隊が補給するということになっているという理由と共にこの設備が供給している水はオゾン殺菌されており、日本の水道法が定めた飲料水基準はパスしています。なので飲料しても体に差し支えないにもかかわらず「製造した水」は日本の法律では定めた塩素を添加していなければ
「飲料水」と書いてはいけないという法律上の理由だけでこの水が飲料水として使えるということが言えないそうだ。こんな緊急時にも飲める水を飲めると言えないという状況を法律を作ってしまっている。明らかに技術の進歩に対して法律が追いついていないのだ!これは役人の怠慢以外の何物でもないと思う。

そんな馬鹿な・・

こんな時にも法律の壁なのか・・

オゾン殺菌されていいるので完全な無害な飲料水である。

なので生活用水として使ってくださいということで供給しているとのことだ。


なんかよくわからない。


これだけすばらしい設備があるのに生かされていない。


自民党災害対策本部に対して散々提案したにもかかわらず、採用されなかった。

結局日本財団によってボランティアとして供給されたのだ。

政治は何をやっているのだ。

復興予算はどうなっているのだ!

これだけの設備を一中小企業に無償で提供させるなど負担が大きすぎるのだ。


何とも腑に落ちない気持ちで帰途についた。

冠水した道路に車を走らせるのはさすがに怖かった。

なぜなら家屋の残骸が水の中に沈んでいるからだ。

釘でも踏んでパンクしてしまったら当初も無くなってしまう。

●冠水した道を走っているところ




さらに一昨日は気温が低かったので大変だった。

帰途は日本海に抜けるために国道で峠超えをしなければならなかった。


案の定途中雪が降ってきた。


本当に危なかった。。。


峠を越えた山形あたりの道の駅で夜中の12時ごろから車中泊・・

惨状が頭から離れず十分に眠れない。なぜか涙がでてくる。涙が止まらなかった。。


翌朝5時に目が覚め、眠れないので、そのまま出発


新潟に抜け、国道8号線を南下し、富山を抜け、金沢を見抜け

ただ、ただ南下・・

その日の夜11時ごろにやっと滋賀県の琵琶湖の西側の国道にたどり着き

翌日の午前2時ごろに神戸に到着。

自動車の総走行距離は、1940キロになっていた。

かなり辛かったが、いろいろな課題も明確になった。

大きな成果はなかったもののなぜか充実感だけはあった。


きっとこの設備が世界の水不足の地域に絶対に役に立つという
確信を得ることができたからかもしれない。


そして2年前には半身不随になっ田自分が何の役にも立たない人間になってしまったと感じた自分が、



これから少しは人の役に立つ人間になることができるような気がしていたからかもしれない。

まさに、激走2000キロの旅だった。。。