人類は、科学技術の進歩させ高度な運命を築きました。そして我々日本は豊かな生活を享受することができるようになりました。 しかし残念ながら、科学技術の進歩とは裏腹に、自然に対すて傲慢氏になってしまった
のではないだろうか、私たち人類が与えられたこの「世の中」、あるいは「大自然」と言った方が良いかも知れない。この「大自然」は人間の英知など到底及ばない巨大な力を持っていると思う。
今回の大震災にしてもそうではないか。
傲慢になっていった結果、公害の発生や地球温暖化などの自然破壊を起こしてしまい、
人類自らではどうにもならないほどの状況に近いものにしてしまったのではないだろうか。
私たちが与えられたこの世の中は、残念ながらそんなに甘い世界ではない。
無限に資源があるわけでもない。自然災害も起こる。ウイルスなどによる感染症などの病気も存在する。
現代医学ではどうにもならない難病もまだまだたくさんある。
(私と私の息子のモヤモヤ病だって完全な治療法はなくいまだに原因不明である)
このような人間が生きる上で、非常に厳しい環境の中で、生きていくためには、その環境に対して畏敬の念を
持って生きていかなければならないのではないだろうか。
資源も食料も有限である。残念ながら、世界60億の人間を裕福に暮らせるだけの資源も食料も人類は、
与えられていない。いつかはなくなる。
そんな世の中で生きていくためには、自分の欲望などを厳しく律して生きていかなければならないのではないか
人類がこれまでに築き上げた科学技術奢ることなく、この世の中を生きていくために必要な「人間として正しい生き方」とは何かを常に追求し続けていかなければならないのではないか。
そんな厳しい世の中でもあるが、決して失望する必要は無いと思う。
確かに世の中は思うようにならない事ばかりである。当然の病、突然の災害などの突然のあらゆる厄災
まじめに一生懸命生きてきた人にとってこのような苦境は受け入れがたいものである。
2度と立ち直れないのではないかと思えるような絶望感に見舞われるものだ。
しかし本当に絶望していてはいけない。
自分の理想とする未来(希望)を信じることが大切だと思います。
そしてその思いを自分の中で具体化し信じ続けることが大切だと思う。
あの京セラの稲盛会長の著書にも「思いを実現させるためには、その思いや理想を具体的に隅々まで、
(白黒ではなく)カラーでイメージできるようになればその思いを実現する」
と言われてます。
そのためにはきっと寝ても覚めてもその自分の思いについて考え続けなければならないのではないだろうか
僕が尊敬する松下幸之助さんが、ある時「ダム経営」について講演をしたとき、
景気がよく余裕のあるときにこそ、景気の悪い時のために備えて「蓄え」をしておく必要があるという
いわゆる「ダム経営」の必要性についてお話をされていた時のことだそうです。
ある傍聴者が質問に立ち、
「言っていることは分かるが、そんな余裕がないからこそ皆毎日悪戦苦闘しているのです。
我々が聞きたいのは、どうやったらそのダムができるのかということなのです。」
と言ったそうです。
そうしたらそとき松下幸之助は、「そんな方法は私も知りませんのや、知りませんけど、まずダムを作ろうと思わんとあきまへんのや」と言ったそうです。
その時の「思わんとあきまへんのや」という言葉がとても重要なことだというのです。
これこそ、自分自身の「思い」であり自分自身を信じることではないかと思うのです。
まず初めに「思い」ありきだと思うのです。そしてそれを徹底的に信じる強い心が大切なのだと思います。
そこから初めて知恵湧き「無から有を生み出す」のではないかと思うのです。
誰だったと忘れましたが、「思いは実現する」という言葉を言った偉人がいましたが、
まずは「思い」であり、その次に「自分を信じる」ことではないかと思います。
そして自分を信じる「理想」を追求するために、寝ても覚めても考え続け、そして自分を律し続け行動に移すことではないかと思います。
僕もこの2年間今やっと動き出したこのNPO法人の活動について、NPO法人を無償提供するというお話が、
来る以前から、それこそ寝ても覚めても、自分がやろうとしている活動についてどうやれば、うまくいくのか、考え続けました。
(障害者になったことで失業して毎日自宅で考え続けることができたということ幸いしていると思うが・・)
そして今ではこのNPO法人の目的とする活動を僕の頭の中では、本当にカラーでイメージすることができています。
おそらく現在のNPO法人の理事になっていただいた方の中にはこの活動はそんなに簡単にうまくいかない
のではないかとい疑念を持っておられる方もいると思います。残念ながらそれはその人の行動を見れば残念ながらわかってしまうのです。しかしそれは仕方のないことだとも思います。
私がやろうとしていることはとてつもなく大きな「理想」です。
「そんなことをお前にできるわけがないだろう」と言われるようなことです。
活動が軌道乗るための具体的な行動計画について具体的に示せば良いのだろうが、
そのためには膨大な経営計画(活動計画)を作成しなければならない。
でもそんなものを作成しなくても、僕の頭の中ではすべてのステップがイメージできているのだ。
だから必要はない。
進めていくなかで立ちはだかる障害なども想定できている。
だから僕は、必ず上手くいくと信じることができています。
信じることができているからこそ、
障害が現れても「なんとかして乗り越えてやる」という気持ちになることができます。
結果として障害を乗り越えるための知恵が湧いてくるのだと思います。
それこそ寝ても覚めても方策を考え続けています。
決して奢らず自分を信じ続けることこそが自分自身が最高の力を発揮できる術ではないかと思います。
自分の体の障害についても同じです。
いつか必ずもう一度プールで水泳をしている自分の姿をカラーでイメージしています。
そしてそうなる自分自身の信じています。
だからこそ日々遅々として進まない(進んでいるように感じない)リハビリでも頑張ることができるのです。
いつか回復すると信じているから、、、
自分を信じていなければ、他人が無理ではないかと思うような夢や希望を目指して頑張り続けることなんてできるわけがない。
だからこそ自分を律し続け、自分を信じて、自分を信じてただそれだけで誰がなんと言おうと
僕はがんばっていくのだ。
自分を信じることができない生き方なんて実につまらないのではないだろうか
のではないだろうか、私たち人類が与えられたこの「世の中」、あるいは「大自然」と言った方が良いかも知れない。この「大自然」は人間の英知など到底及ばない巨大な力を持っていると思う。
今回の大震災にしてもそうではないか。
傲慢になっていった結果、公害の発生や地球温暖化などの自然破壊を起こしてしまい、
人類自らではどうにもならないほどの状況に近いものにしてしまったのではないだろうか。
私たちが与えられたこの世の中は、残念ながらそんなに甘い世界ではない。
無限に資源があるわけでもない。自然災害も起こる。ウイルスなどによる感染症などの病気も存在する。
現代医学ではどうにもならない難病もまだまだたくさんある。
(私と私の息子のモヤモヤ病だって完全な治療法はなくいまだに原因不明である)
このような人間が生きる上で、非常に厳しい環境の中で、生きていくためには、その環境に対して畏敬の念を
持って生きていかなければならないのではないだろうか。
資源も食料も有限である。残念ながら、世界60億の人間を裕福に暮らせるだけの資源も食料も人類は、
与えられていない。いつかはなくなる。
そんな世の中で生きていくためには、自分の欲望などを厳しく律して生きていかなければならないのではないか
人類がこれまでに築き上げた科学技術奢ることなく、この世の中を生きていくために必要な「人間として正しい生き方」とは何かを常に追求し続けていかなければならないのではないか。
そんな厳しい世の中でもあるが、決して失望する必要は無いと思う。
確かに世の中は思うようにならない事ばかりである。当然の病、突然の災害などの突然のあらゆる厄災
まじめに一生懸命生きてきた人にとってこのような苦境は受け入れがたいものである。
2度と立ち直れないのではないかと思えるような絶望感に見舞われるものだ。
しかし本当に絶望していてはいけない。
自分の理想とする未来(希望)を信じることが大切だと思います。
そしてその思いを自分の中で具体化し信じ続けることが大切だと思う。
あの京セラの稲盛会長の著書にも「思いを実現させるためには、その思いや理想を具体的に隅々まで、
(白黒ではなく)カラーでイメージできるようになればその思いを実現する」
と言われてます。
そのためにはきっと寝ても覚めてもその自分の思いについて考え続けなければならないのではないだろうか
僕が尊敬する松下幸之助さんが、ある時「ダム経営」について講演をしたとき、
景気がよく余裕のあるときにこそ、景気の悪い時のために備えて「蓄え」をしておく必要があるという
いわゆる「ダム経営」の必要性についてお話をされていた時のことだそうです。
ある傍聴者が質問に立ち、
「言っていることは分かるが、そんな余裕がないからこそ皆毎日悪戦苦闘しているのです。
我々が聞きたいのは、どうやったらそのダムができるのかということなのです。」
と言ったそうです。
そうしたらそとき松下幸之助は、「そんな方法は私も知りませんのや、知りませんけど、まずダムを作ろうと思わんとあきまへんのや」と言ったそうです。
その時の「思わんとあきまへんのや」という言葉がとても重要なことだというのです。
これこそ、自分自身の「思い」であり自分自身を信じることではないかと思うのです。
まず初めに「思い」ありきだと思うのです。そしてそれを徹底的に信じる強い心が大切なのだと思います。
そこから初めて知恵湧き「無から有を生み出す」のではないかと思うのです。
誰だったと忘れましたが、「思いは実現する」という言葉を言った偉人がいましたが、
まずは「思い」であり、その次に「自分を信じる」ことではないかと思います。
そして自分を信じる「理想」を追求するために、寝ても覚めても考え続け、そして自分を律し続け行動に移すことではないかと思います。
僕もこの2年間今やっと動き出したこのNPO法人の活動について、NPO法人を無償提供するというお話が、
来る以前から、それこそ寝ても覚めても、自分がやろうとしている活動についてどうやれば、うまくいくのか、考え続けました。
(障害者になったことで失業して毎日自宅で考え続けることができたということ幸いしていると思うが・・)
そして今ではこのNPO法人の目的とする活動を僕の頭の中では、本当にカラーでイメージすることができています。
おそらく現在のNPO法人の理事になっていただいた方の中にはこの活動はそんなに簡単にうまくいかない
のではないかとい疑念を持っておられる方もいると思います。残念ながらそれはその人の行動を見れば残念ながらわかってしまうのです。しかしそれは仕方のないことだとも思います。
私がやろうとしていることはとてつもなく大きな「理想」です。
「そんなことをお前にできるわけがないだろう」と言われるようなことです。
活動が軌道乗るための具体的な行動計画について具体的に示せば良いのだろうが、
そのためには膨大な経営計画(活動計画)を作成しなければならない。
でもそんなものを作成しなくても、僕の頭の中ではすべてのステップがイメージできているのだ。
だから必要はない。
進めていくなかで立ちはだかる障害なども想定できている。
だから僕は、必ず上手くいくと信じることができています。
信じることができているからこそ、
障害が現れても「なんとかして乗り越えてやる」という気持ちになることができます。
結果として障害を乗り越えるための知恵が湧いてくるのだと思います。
それこそ寝ても覚めても方策を考え続けています。
決して奢らず自分を信じ続けることこそが自分自身が最高の力を発揮できる術ではないかと思います。
自分の体の障害についても同じです。
いつか必ずもう一度プールで水泳をしている自分の姿をカラーでイメージしています。
そしてそうなる自分自身の信じています。
だからこそ日々遅々として進まない(進んでいるように感じない)リハビリでも頑張ることができるのです。
いつか回復すると信じているから、、、
自分を信じていなければ、他人が無理ではないかと思うような夢や希望を目指して頑張り続けることなんてできるわけがない。
だからこそ自分を律し続け、自分を信じて、自分を信じてただそれだけで誰がなんと言おうと
僕はがんばっていくのだ。
自分を信じることができない生き方なんて実につまらないのではないだろうか