災の震度は「想定外?」

今回の震災で、特に原発問題の中で「震度7は想定外」というような発言に対して
批判の矛先が集まったりしているようだ。

でもちょっと疑問に思います。

そもそも想定など出来たのだろうか。

「想定外」という言葉を使うから問題になるのではないか。

企業経営のリスクの想定外とは訳が違うと思う。


本当は「想定不能」というのが正しいのではないだろうか

地震のような自然災害を人間が想定できると考えること自体をおこがましい気がする。

自然なんて人類の手の届かないものだと思う。

人類の科学なんて所詮知れていると思う。

明日の天気さえ正確に予測できないのではないか

今回の地震にしても地球にとってみれば大したことはない地殻変動ではないのか。

地球の歴史をみれば、現在ある大陸がすべて一つだった。

それが分裂して今のような配置になったのである。

これは人間の想像を絶するような地殻変動ではないだろうか。

それに比べれば今回の震災など(地球にとっては)微々たる地殻変動にすぎないのではないか

だから「想定外」ではなく(人類にとって)「想定不能」というのが正しいのではないか。

「想定外」などと言うから

「想定できるのに想定を怠った」と解釈されるのではないだろうか。

でも「想定不能」だから何もしないということではないと思う。

そもそもこの世の中自体不確実性に満ちている。

人間の体でさえもそうだ。「不確実性」満載ではないか。

いつ病気になるのか、いつ死ぬのかなんて誰にも予想できない。

今回の震災にしてもそうだ。予測不能・想定不能になったのだ。

だからそのことに対して責任追及すること自体滑稽で無意味なことではないかと感じる。

予測不能・想定不能で「不確実」であっても、希望を持って前に進むことの方が大切だと感じる。

僕だって同じだ。もやもや病に起因する脳出血は再出血する可能性が非常に高いという。

当初僕はそのことに対して非常におびえていた。

でもあるときからそんなことにも怯えても仕方がないと思うようになった。

いつ出血するかなんて予測できないのだ。

そんなことに怯えて、リスクを恐れて消極的な生き方をするより、「いつ死んでもかまわない」
という気持ちで積極的に生きた方がたとえ採再出血によって死んだとしても、
後悔しないだろう。

だから「想定外」などという表現をせずに、正直に「想定不能だった。」「想定不能です」
とハッキリ言ったほうが良いのではないか。


「想定不能だけれども現在我々が持つ技術の最大限の防衛策をしていた、そして今後も最大限の技術を駆使して努力する」

と言ってくれた方がよかったような気がする。