無私無欲が人間の無限の可能性を生み出すのではないか


挫折感・屈辱・悲しみ・怒り・恐怖・プライド・こだわり

こういったものは人間の可能性にとって非常に邪魔になるものと思う

悲しみや怒りや悔しさをばバネにして立ち直るというパターンもあるが

僕的にはこういった感情はよくないと思っている。

プライドやこだわりさえも邪魔になると思う。

なぜならプライドやこだわりは心の視野を狭くしてしまうと思うから・・

苦境の中では様々な乗り越えるための「策」のオプションを考えなければならない。

そんなときプライドやこだわりは「プライドから来る遠慮や恥」のような感情を

持たせてしまうと思う。

そうなると冷静に客観的に考えられるあらゆる施策オプションを行動に移すことが

できなくなるのではないだろうか。
「このオプションはこうだからダメ」

「このオプションはああだからやめておこう」

というような「言い訳」の原因になると思う。

人間の「自我」から来る「制限」を全くなくすことによって客観的に冷静な施策を

考えることができ、行動に移すことができるのではないだろうか。

自我とは本当に厄介なものである。

僕にはまだまだ自我が沢山あると感じる。

完全になくすことなど不可能だけれども、苦境を乗り切るときには


できうる限り自我をなくして、客観的に考え行動したいと考えている。

無私無欲が人間の無限の可能性を生み出すのではないかと思っている

心が後ろ向きになっているとき、よくよく自分の心を分析してみると

どこかに「恥ずかしい」とか「腹が立つ」とか「悲しい」とか「寂しい」とか「身体が辛い」

というような自我の感情が存在することに気がつく。

そんな時、僕は「無私無欲」「無私無欲」と唱えるようにしている

でも「無私・無欲」に近づくことはなかなか難しい。。

それでも

最近は、心や身体が辛いときこの言葉を唱えると気持ちが落ち着き、前向きになるようになってきた。