日本人の自然の脅威を受け入れる器と忍耐

日本人の自然を受け入れる器と忍耐

今回の大震災を通して日本人にはどこの国にも負けない自然脅威を受け入れる器と忍耐があると感じました。

自然の脅威とは何も震災などの災害ばかりではないと思います。

病も同じであると思います。病も自然の一部です。

どんなに医療が発達しても、人間には、すべての病を撲滅することはできないと思います。

病も自然の脅威の一つだからです。

死も同じです。死も人間である以上、避けて通ることができません。

受け入れざる得ないものです。

自然の脅威に襲われるのは世界共通ですが、

その中でも特に日本人は、冷静に受け止めることができる民族ではないかと感じます。

だからこそ災害が起きても、礼節を失わず、冷静な行動ができるのだと思います。

こういった脅威を受け入れるためには忍耐が必要です。


人間がどんなに抵抗してもムダだからです。

受け入れるしかないと思うのです。

「受け入れる」とは「心が受け入れる」ことです。


このような苦難や教育受け入れるためには自我をなくす必要があると思います。

自我とは自分の中にある本能的欲求だと思います。

だから自我があるとその自我の持つ欲求(煩悩)を満たされないと人は苦しむのだと思います。

日本では昔から武士道という世界に誇るべき思想があります。


この武士道は、何も侍だけのもつものではなかったと思います。

すべての日本人の心の中にこの精神は根付いていると思うのです。


武士道の修行に最も適した武道は弓道だといいます。

なぜなら、弓道はほんの少しでも欲(的を射たいという欲)が出ると的を射抜くことができないそうです。

だから弓道を極めることは、「無心」や「無我」を極めることにつながるのだそうです。

この「無心」や「無我」こそが大自然の脅威をあるがままに受け止めることもできる心の器につながる

のではないかと思います。もちろん災害によって愛する人や、自分が築き上げてきたものを失ってしまう

ことに対しては嘆き悲しみます。

しかしその嘆きや悲しみにより我を失い混乱を起こすようなことをせず、社会秩序を保つことができる

のはこういった精神があるからではないかと思います。4

阪神淡路大震災の時でもそうでしたが、アメリカのハリケーンカトリーナの水害のときのような

暴徒化した略奪や強盗などというものは一切起こりませんでした。

どんなに物資が少なくてもに自衛隊などがそれを供給に来たときに、他国で見られるような
「奪い合い」になることは一切起こりませんでした。
みんな冷静に老人や子供たちを優先させきちんと分配することができていました。

僕の部屋の片隅には僕の76歳の父が中学生の時に彫った彫物がずっと飾ってあります。

その彫り物には「忍耐・努力」の4文字が彫られているだけです。

非常にシンプルで地味で古い考え方で今の時代にはそぐわない言葉かもしれないなどと

思っていましたが、今回の大震災を見るにあたってこれほど大切で奥の深い言葉は

ないのではないだろうかと思いながら今、それを見つめています。

まだ俺は生きている!脳出血で半身不随になった元IT系社長の勝手気ままな独り言日記