生きることは死ぬことと見つけたり

葉隠武士道の真髄の言葉に、

「武士道とは死ぬことと見つけたり


という言葉があります。

僕は健常者の頃、日本刀を海外に向けて販売していました。
その時この葉隠武士道というものの存在を知りました。
そしてこの言葉を初めて聞きました。

当時は何を言っているのか全くわかりませんでした。

武士道=死ぬこと・・

なんじゃそりゃ、死んでしまったら何もかもおしまいじゃないか。

などと思っていました。


でも脳出血で生死をさまよい、そのあげくに障害者となった今、
この言葉の意味することがわかるような気がするようになってきた気がします。

そして僕は、僕なりの解釈で決して武士道だけでなく、全ての人間にあてはまるものではないかと思うのです。


僕なりにいいかえると

「生きることは死ぬことと見つけたり

ということになるだろう。


人間は生まれた瞬間から、死への旅路が始まったと言えよう。

人間、いつか必ず死ぬのである。

こればかりはどんな人間でも避けることは不可能だ。


だとすれば

死ぬときに、どのように死ぬかということがとても重要なことだと思うようになった。

僕が思うに

自分の人生を振り返って、「後悔のない人生」であることが最も大切なことではないかと思う。

つまりは、自分のベストを尽くしてきたかどうかである。

人生は結果ではない「生き様」が重要なのである。


人間の人生というものは、、

どんなに努力したからといって、

どんなに善行をしたからといって、

それを持って、必ず「成功する」というものではない。

「幸せになれる」というものでもない。

世の中そんなに甘いものではない。この世の中の現実を見ていればすぐに分かる話だ。

これは厳然たる人間の人生の現実である。

だとしたら、

成功でも失敗でも、そんなことはどうでも良い。


それよりも、自分のベストを尽くして生きてきたかどうか

それこそが最も大切なことで、そう思えることこそが、「後悔がない」と言えるのではないだろうか

失敗は、「無念」ではあるがベストを尽くしていれば「後悔」にはならない。

ビジネスの上では「結果」がすべてである。

それが「プロ」というものである。

ビジネスでは努力の経緯などどうでもよいのである。

結果を出すことができなければ、どんなに努力をしようが、冷酷に切り捨てられるのだ。

このことは、健常者の頃自分に言い聞かせてきたことだ。


でも人間の人生においては「結果」よりもその「生き様」の方が大切になるのではないだろうか

そんな観点から、自分の人生を振り返ると、僕自身は自分のベストを尽くしてきたと胸を張ることができる

これだけは唯一僕が自慢できることだ。唯一自分自身を誇れることだ。

僕の人生は、いつも自分の能力の120%で走ってきたと思う。

そもそも僕は性格上、社長業などするような人間ではなかった。

もともと技術屋で口下手で人前で話すことが異常に苦手な内向的な性格だった。

それが何を思ったか経営コンサルタントなどという悪く言うと口八丁手八丁のそれこそ「喋くり」つまり「プレゼンテーション」が最も大切な職業などについてしまった。

あげくの果てに調子に乗って会社まで立ち上げてしまった。

今から考えると無茶な話だったと思う。

だから常に精いっぱいの状態で働くしかなかった。

脳出血で倒れるまでの僕は全力疾走の人生だったと思う。

必死に努力した。

プレゼンテーションの下手な僕は人前でしゃべる練習にも必死だった。

そしてそんな努力にもかかわらず脳出血で倒れ、会社を廃業させてしまった。

成功か失敗かと尋ねられれば明らかに「失敗」である

だから倒れて障害者になってしまった当初はそれが悔しかった。

こんなに頑張ってきたのに・・・なぜ

と言う思いがあった。神様というものが存在するのであれば神様を恨みたいという気持ちだった。

でも・・

そんな自暴自棄になっていた中で唯一自分の心が安らぐと言うか納得させることができることが、

「精一杯がんばった」そして「無念かも知れないが後悔はない」と思えることだった。

そんな意味で、いつ死んでも「無念かもしれないが後悔はない」といえる。

これこそが大切なことではないだろう

言わば生きることは死ぬための準備だと言えるのではないだろうか

死ぬことは生きることの一つであり、

生と死は同じと言えるのではないかどと思うようになった。

だからこそ「生きることは死ぬことと見つけたり」という言葉が、

今の僕には実感として理解できそうな気がする。