他者に救いを求めるより自分を信じる心を持つ方が本当に救われる。

先日、友人の誘いでイヤイヤながら、不治の病も治癒す
というヒーリングというやつの会合に出席しました。

友人が本気のようなので断るわけにもいかず・・

すると案の定「神」のように崇められる「カレ」という存在(既に死亡したドイツ人)がおり、その人の
ヒーリング能力とかいうもので不治の病をも治すというものだ。
会費が必要なわけでもなく、集まっている人たちは、本気で信じてボランティア的に「会合」を開いて
「教え」とかいうものを説いて回っているようだ。
ドイツ人も参加していた。
何も強制されるようなことはなかった。

不思議な会合だった。

ただそのなかでこんな言い回しがあった。

「信じなさい。信じれば、神の力が治癒を導いてくれます。」

なんだこりゃ・・正直心の中で(いや声を出して笑いそうになったが)ズッコケた。。。

それよりも気になったのはこの会合に来ていた人たちの目が「誰かに救いを求めている」ような目をしていた。

宗教法人では内容だったが、これはまさしく西洋的な宗教だと感じた。

宗教のことにくわしいわけではないが、どうも西洋的な宗教には、「神」というものは存在し、
その「神」に救いを求めるために色々な宗教的儀式が存在するような気がする。

しかし僕はこういった考え方に非常に違和感を感じる。、

僕自身は、現在自分の信念として苦境に負けない心を持つためには
他者(神)に救いを求めるより自分自身を信じることの方が救われると信じている。

なぜなら他者(神)に救いを求めた場合、その他者(神)に救う力がない(あるいは神というものが存在しない)と知ったとき、精神的には、それこそ地獄のような状態になるだろうと思うからだ。

苦境時(精神的)救いを求めてしまうのは人情として仕方がないとは思う。

でも、本当に救われるためには神を信じるのではなく自分自身を信じる事が本当の救いなるのだと思う。

これは僕にとって確信に近いものです。

「自分自身を信じること」

これに勝る精神的勇気を与えられるものはないと思う。

自分自身が存在する限り信じることができるから・・

歩行障害を負ってからいつしか「自分自身の回復力を信じよう」というように思うようになっている。

医師を信じるのでもなく、理学療法士さんを信じるのでもない。

自分自身の回復力(精神においても体の機能面においてもだ)を信じることこそ
「諦めない」という強い心を持ち続ける源泉だと思う。


神なんか信じてはいけない。

その点東洋の仏教などは苦境から自分自身を救うために

自分自身の心を鍛練することに重きを置くではないかと感じています。

こちらの方が本当に強い心を持つことができ、本当に「救われる」のではないだろうか