どうしてこんなことになってしまったんだ。自問自答から得た一つの答え。

脳出血で障害者になってからというものこの2年間自問自を答続けた。

「どうしてなんだ」

何度も心のなかで問い続けた。

どうしてこんなことになってしまったんだ。

どうして僕が障害者にならなければならないんだ。


そして何もかも失った今、今後自分はどうすれば良いのだ。

どうして僕がこんな目に合わなければならないのか。

なぜこんなふうになってしまったのか、

どうして大切にしてきた自分の会社を失わなければならないのか。

どうして体の機能を失い、

父親として、夫としての役割を果たすことができなくなってしまうなければないのか。

どうして今まで苦労して築き上げてきたいるものを失わなければならないのか。



善行をしていないからだというのか。

俺は何か天罰を受けるような悪いことをしたのか、

こんな問いかけを自分自身にし続けた。

そんなことを続けた結果自分なりに得た一つの答え。



それは「過去を振り返るな」ということです。

そして失ったもの。あるいは喪失したもの取り戻すことは絶対にできない。

これは厳然たる事実である。

神様も、仏様も、へったくれもない。


事実は事実だ。現実に起こってしまったことは変えることができない。


現実として受けとめるしかないのだ。

善行をしていたからとか、悪行をしていたからという理由で、
事実が変わるものではない。

起こることも起こるのだ。

現実として、起こってしまったのだから、

過去を振り返ったところで、過去が変わることはない。
失ったものが戻ってくるわけでもない。

失ったものによる不自由さは
知恵と工夫で対処していけば良い。
虚勢さえ張ることができない
ありのままの自分をさらけ出すしかない。
できないことはできないと正直にさらけ出し、協力を求めることで、信頼が得れるものだと思う。
能力よりも、正直であることや約束を守るということの方が大切なこと。
そして、人道主義的目標や高い志こそが、人を呼びよせ、
団結させる。

受け止めきれなければ死ぬしかない。



ただこういった挫折感や喪失感を軽減する術はあると思えるようになった。

以下はは自問自答を続けた一つの私なりの結論です。


それは「それまで以上の希望と志」を持つこと。

これ以外に挫折感を克服する方法はないと思っている。

だからこそそれまでの自分には考えもつかなかったとてつもない希望や志を持とうとしている。

これ以外に挫折感や喪失感を埋める方法はないのだ。

そして過去を振り返ることは一切やめることだ。

スポーツが好きだった僕が一切スポーツができなくなった。

そんな事をいくら考えてもできるようになるわけでもない。

考えるだけ無駄だ。

失った肢体機能による不自由さは知恵と工夫で対処していけば良い。
この状態では、虚勢さえも張ることができない

不自由な自分をありのままの自分を人前にさらけ出すしかない。

助けが必要な時には素直に助けを請う。

できないことはできないと正直にさらけ出し、協力を求めることでなんとかなるもんだ。

恥ずかしがる必要なんてない。

恥ずかしかったところでどうにもならない。

正直に助けを求める。

プライドが邪魔をするのかこれがなかなか難しい。


でも正直に周囲に助けを求めたほうが、僕自身もやりたいことができるし、
周囲にも、逆に迷惑をかけないのだ。

無理をして転倒して救急車でも呼ばなければならないようなことになると、

自分自身もケガで痛い目に合うし、周囲も大迷惑だ。

そうなってしまうと、ますます情けない気持ちになる。

そんなことになる前に、今の自分の現状を素直に受け入れることこそが、

今の自分の状態で前に進むことができる方法だ。

できないことができるように見せかけようとすることさえできない。

背伸びさえさせてくれないのだから・・・

幸い現在の人間社会は、体が動かなくても、力仕事ができなくても、

頭で勝負することができるではないか。

決して良いではいえない頭だが、

今の自分の体の中で唯一今鍛えることができるの頭しかない。そして「心」しかない。


だかこれからの人生、心で、頭で勝負するんだ。

だからこそ、人が持てないようなとてつもない志を持つことで勝負するんだ。

こんなふうに自問自答をし続けたのは生まれてから40数年の人生のなかで初めてだ。

自問自答を続けたことで、死生観も大きく変わった。

世界観までも大きく変わった。

人間にとって最も必要なものはなんなのか

そんなことも少し分かってきたような気がする。


とにかく自分が生きてる価値、つまり存在価値を高めるために、

役に立つ人間であり続けるために、大きな志を持つことにした。

そんなことができるものかと馬鹿にされても構わない。

そうしなければ、自分の心の中の喪失感や挫折感を拭うことができないからそうしているだ。