苦境こそ学びの最大のチャンスだ

病気になれば、その病気について学ぶことができる。
僕も脳出血により半身麻痺という障害を持ってしまったことによって、、

この2年間は脳の損傷や脳卒中に関するあらゆる書物を読んだ。
「脳の可塑性」についてもかなりの勉強した。

その辺の脳神経科医や理学療法士さんよりも、おそらく僕の方が、
かなりの知識を持っているのではないかと自負するくらいだ。

人間どんなときも、どんな人からでも謙虚に学ぶ姿勢が大切ではないかと思う。
人から酷い目に合えば、酷い目に合うことを学ぶ。
そして2度とひどい目にあわないように学習をする。
また酷いことはしてはいけないということを学ぶことができる。
意見が反対の人の言うこと素直に謙虚に聞いてみると、
学ぶことは非常に多いと思う。

会社を経営していたころ、クライアントからクレームを受ければ受けるほど
自分を成長していたような気がする。

クレームを受けることは辛い事です。
理不尽なクレームを言ってくるお客さんに対しては怒りさえ感じることもあります。

でもクレームを受けることによって、次からはクレームを受けないように、
するために努力するものだ。
真摯にクレームの内容を聞いてみると、自分に改めるべき点が沢山あることに気がつく。

人間は苦境に合うと苦境からがするために知恵を使うものだ。
そのことが結果として、「学び」となり自分の力になっていく。

パソコンに不具合が起これば起こるほど、その復旧手間をかければかけるほど
パソコンについて、OSについて、詳しくなるものだ。
そしてそれまで以上の知恵が身に付く。
どんな人生でも、学びの連続だと思う。

苦しければ苦しいほど、そこから脱するために学ぶものだ。

「苦労は買ってでもしろ」いう言葉がありますが、
これはそういう意味ではないだろうかと思う。
ある人は「苦労なんてしないに越したことはない」と言う人もいるけれども、
苦労した時のことほど身につくものと思う。

なぜなら必死だからだ。
人間の脳は必死になったときほど可塑性(脳の再構築)を発揮するという。

苦しい時は、必死に耐えなければならない時があります。
耐える心から新たな力が沸く。苦しみに耐え抜いた後にこそ新たな力が沸くような気がする。


その意味では苦境こそ人間を強くすると思う。
そして苦境の時大切なことは、苦境の時にこそ「希望」を持つことだと思う。
苦境だからこそ、心に希望を持たなければならないのではないだろうか

そして「希望」は与えられるものではなく自ら持つものだ

希望は、周りの環境からを与えられるものでもなく、人から与えられるものでもない。
どんな環境であろうと、自らの心の中に自分自身で持つものだ。

でなければ苦境の中で希望など持てるはずがない。

苦境の時に希望を持てる者は、「意欲を持つ」ことができ、
意欲は知恵につながり、新しい力となる。
過去の偉人と言われる人たちは、苦境を自分の力や知恵に変えることができた人ではないかと思う。

苦境に立ったとき、素直な心で目を見開き、真正面から苦境を受け止める必要があると思う。
自分を襲った苦境を真摯に受け止めることから新たな知恵が生まれるのではないだろうか

決してひねくれてはいけない。
「仮面」をかぶってもいけないと思う。
そんなことをすると襲ってきた苦境を正しく認識することができず
その結果、苦境を乗り切るための正しい知恵が出ず、対応策が取れないからだ。

しかし「苦境を真摯に受け止める」などということは簡単ではない。

どうしても誰かのせいにしたくなる。

「自分は何も悪いことをしていないのになぜこんなに目に合わなければならないのか」

などと思うものだ。

しかし悪いことをしていなければ、順風満帆の人生が歩ことができるかというと

人生そんな甘いものではない。

何も悪いことをしていなくても病気になる。自然災害にも遭遇する。

自分は悪いことをしていないからという理由で、逃れられるものでもない。

人間とは必ずいつかは死ぬ。こればかりは、善人だろうが悪人だろうが変わりはない。


病気や災害も同じだ。

だとしたら死ぬことでない限り、遭遇した病気や災害を自分の糧とした方が得ではないか。

人間が生きている間に遭遇することは、どんなに辛いことでも捉え方次第ですべてその人

にとって「学び」になると思う。

どうせなら学び取って、自分を大きくした方が生きる価値が高まるというものだ。

この世に生を受けたのであるから、思う存分生きることについて学ぼうではないか。

さあ苦境よ、どこからでもかかってこい!

おまえは僕にとって最大のチャンスなのだ。

きっとそうに違いない。