DoからSeeへのパラダイム変換

心のパラダイム変換ができるとこんなに世の中の見え方が変わるのか

僕は昔は自分が「体験」することに価値を感じていました。

何でも挑戦してきました。

そして肢体障害者になった僕は「体験」は不可能になりました。
そのことに対して当初とても辛いと感じていました。

でも今は「体験する楽しみから鑑賞する楽しみ」へ転換することでその辛さはほとんどなくなっています。

できないことにいくら目を向けても仕方がない。

これからどんどんいろんなものを「鑑賞」しに行きます。

自分ができなくてもそれはもうどうでもよいのです。

できないことはできる人にやってもらえばいい。

健常者のの時だって、何でもかんでもできたわけではない。

阿修羅のように6本も手がある「人?」にはかかなわなかったはずだ(笑)

できないことができる人にやってもらっていたはずだ。

阿修羅は6本の手の4本が麻痺したら嘆くだろう。
でも人間と同じになったのだ。
僕だって、左手を器用に使ってキーボードを打っていたけど、猫にはできない。

でも猫はそんなことに嘆いてなんかいないじゃないか

要は考え方次第出気持ちはなんとでもなる。

自分が「実践」や「体験」ができないなら、「鑑賞」して楽しめばよい。

「鑑賞」という楽しみ方があるのではないか

DoからSeeへのパラダイム変換すればいいじゃないか