苦悩の3年間の本音

あれは約3年半前の春頃であった・・

僕が前年の2008年の11月に脳出血を起こし、
完全半身麻痺となり、約半年のリハビリ入院を経て退院した直後のことだった
半年間リハビリしたとはいえ、僕はまだせいぜい10m程度しか歩けず、左手は「全廃」だった
そんな身体だから当然のことながら社長業に復帰するなんていうことは不可能であった
つまり、収入の道が完全に閉ざされていた状態だった。
社長業を辞める=倒産を意味する
僕の会社も他の中小零細企業と変わらず、銀行から数千万円の借り入れがあった。
会社が倒産する=社長であった僕は無収入になる。
つまり数千万円の借金だけが残るという状態だった。
でも身体は10mも歩けない半身不随だから、仕事は不可能
つまりその借金を返済する目処がないということだった

正に「お先真っ暗」だった

そんな僕を心配して僕の両親(二人とも70歳後半)が今後の僕ら家族の生きていく方法に
ついて何ができるかをいっしょに家族会議をしようと僕の家にやってきた。
僕の両親は二人とも慎重派だったこともあり、1年後、2年後最悪の事態を想定して対処しなければならないと考えて、僕がこのまま全く仕事ができず、無収入でも生きていけるよういろいろ考えてくれていた。僕の実家は奈良、奈良になら今住んでいる賃貸マンションよりもずっと安いアパートがあるその程度の家賃支援ならできるし、最低限の生活費も支援できると考えてくれていたようだ。なぜなら、僕の両親は父親が昔から縫製業を営んでいて、数年前に廃業したにも関わらず
当時の従業員のおばさんたち2人が小さくても仕事を続けたいという意向もあり、僕の両親を含め
4人で細々とではあるけれど、仕事を請け負い収入を得ていたからだ。といってもTシャツ1枚を縫製する工賃は1枚あたり100円そこそこだから大した収入ではないそれでもそれまでコツコツと蓄えてきた貯蓄もあるので月々4、5万の援助はできるというあとは家内にも働いてもらって、せめて十数万円でも収入があると生活がやっていけるのではないかと考えていた。

家内は留学経験があり、英語が堪能なので英語を生かした就職ができれば、
それくらいの収入はこの不景気でも何とか稼げるのではないかと考えていたのだ。

そんな状態で僕の家内も含め「家族会議」をしようと集まった

当初から家内はこの家族会議に消極的だった
理由は家内以外は僕のお親兄弟であり、自分に負担がかかるような方向に
なるのではないかと怖れていたらしい

現に直前に家内は僕に対して「敵ばかりで自分はひとりの会議なんてイヤだ」と僕に漏らしていて
僕は「僕の両親は敵なんかじゃないよ」と諌めていたのだ
そして家族会議が始まった
そこで僕の両親は考えていた対策を話し始めた

話しはじめて10分程度経った頃だったと思う

家内が突然

「もう、やめて!」

「そんな悲観的な話したくない!」

と怒り出し、

更には

「お金のことなんて男の人(僕と僕の父親を指して)が何とかしてよ!」

と言って部屋から出て行ってしまったのだ

そして家族会議は何もできなくなってしまった

そしてその後、しばらく(数週間)して家内の母親(義母)が僕の家にやってきた
今後のことを考えるためでもあったと思う。理由が定かではなかった

そのことを僕は僕の両親に知らせたところ、(家内が一切話に応じしようとしないから)
じゃあ義母と話をしよう良いタイミングだということでやってきた
そして僕の両親と義母との話し合いがはじまった
家内はそのこと自体イヤだったようで他の部屋に出て行った。
その話し合いの中でのことだった
義母は
「今回のことはもし裁判になったらあなた方の責任になるのですよ」
そして
「だからあなた方にこの家族の援助義務が出るのですよ」

と言い出した

義母は慶応義塾大卒で弁は立つ、
それにひきかえ僕の両親はどちらも中卒、北陸出身のせいか
無口なほうで話し下手である
義母の言うことをなにも言わずうなずきながら聞いていた
でも僕は心の中で「そはおかしいんじゃないか」と思っていた

でも

当時僕はまだ高次脳機能障害が若干残っていたこともあり
後遺症である視床痛のたぶん経験した人にしか分からない激烈な
左半身の痛みと痺れに耐えるのに精一杯で反論する気力もなかった

そのことに対しても

「男はこういうとき弱い、私は働いていた頃
(確かに生命保険会社で働いていて神戸支社売上№1だったらしい:ここまでくると真偽も疑わしいが・・)
どんなに苦しくても・・何が何でも売上を上げる「鉄の女]と言われた」

と自慢話を始めた。だから僕に痛みくらいで弱音を吐くな・・と


しかし、あとから考えると僕の両親に援助義務があるという話が、
どう考えてもおかしいと感じてきた
子供の病気が親の責任?
だから援助義務が生じる?
僕はもう40歳半ばの大の大人である
親の責任は成人した二十歳までではないのか?

裁判そんな判決が出るはずがない・・
そう感じ徐々に怒りがこみ上げてきた
そもそも脳出血の責任が親にあると言うこと自体おかしい
病気なんて誰の責任でもないではないか

単純にそう思った

そこで身体が楽になったとき自分なりに民法を調べてみた
やはり、親の責任は成人した二十歳までとあった
しかし子が障害や病気のときは援助できるは範囲で
援助すべきであるが、但し義務ではないとあった
ましてや子の配偶者への援助義務なんてどこにもなかった

そんなことがあってから、僕はとにかくまずは僕も少しでも
仕事をし、収入を得なければと思い、障害者の求職を支援
してくれるところはないかと、ネットで調べまくった

そうしたら、大阪に障害者の求職と企業の求人のマッチングの
支援をしている企業を見つけた。

僕は藁をもつかむ気持ちでまだ高次脳機能障害のせいで充分に
文章も書けないう上にまだ慣れていない右手片手のタイピングで
必死の思いで履歴書、職務経歴書及び自己アピール文章を書き
その企業にメールで送信した。
するとすぐに返事がきた

あなたの経歴ならマッチングできそうな会社があるとのこと

すぐにでも面接したいと申し出るとその仲介企業の社長はマッチング相手の
企業の社長と僕の家までやってきてくれた
そして無事採用が決まった それも在宅就業だ
まだ充分に歩けない僕にとっては最高の条件だった
その企業は輸入品を扱う小さな会社でWEBショッピングサイトでその輸入品を販売しようとしていた
僕はそのWEBショッピングサイトの管理業務をやることになった。
給与は月額固定の10万円
正直安いと思った
でも、贅沢は言っていられない
身体に強烈な痺れと痛みがある中、僕は必死に業務をこなした
僕の両親は義母に責任追及されたせいか毎月援助金を振り込んでくれていた

あるとき、

僕の両親が振込みを忘れ、直接現金を持ってきて、直接僕の家内に手渡した
そのとき、あとで家内は僕に対して突然怒り出した
「何よ!私に直接渡す」なんて!恩着せがましい! 当たり前の事を恩着せがましく、私に手渡す態度が気に食わない」
ということだった

僕は唖然とした

「当たり前のこと?」
「本当にそんな風に思っているの?」
と僕は心のなかで思ったが・・
口にはださなかった

でもショックだった

年金と細々とした縫製の仕事の収入だけで、しかも80歳前の老人に

援助してもらうのが当たり前?40過ぎの大の大人がである

しかも上述のように法律上でも成人した(しかも40歳を超えた)子への

援助義務なんてもうない

僕たち家族が少しでも助かるように・・と考えて少ない収入から出してくれた

まさに善意のお金だ

感謝すべきことであっても、怒ることではないじゃないか・・

そんな家内はなんとその年の息子の夏休みに僕が後遺症に苦しんでいることに対して

「もう私疲れた、、長野で休ませてもらいます」と言って

まだ家事もロクにできず、自立できていない僕を僕の母親に任せると言い残し

義母の住んでいる長野に約1か月滞在した。。



そのな長野に行く際にも

「もう離婚して、貴方の両親から養育費もらって息子と二人で生きていきます」

などと言って、出て行った。

この「事件」は、

僕にとって恐ろしく辛い、トラウマになるのような出来事だった。

なぜなら

ただでさえ、脳出血という強烈な発作に襲われて

身体に障害を負ったことだけでも、

精神的にどん底だったのに

それに加えて、自分の会社を倒産までさせてしまい

それこそ、誰かにすがりつきたいほど酷く参っていた僕に

追い打ちをかけるように

突き放されたと感じた・・

本当にこれは辛かった。。

もう、死のうかと本気で思った。。

家内にとって僕は単なる金づるでしかなかったのか!

奴隷だったのではないかとも思った。

本当に苦しいときに逃げた・・

と思った。。

人生のパートナーと信じていたのに・・



そして、、

まだ僕の両親から援助してもらうのが当たり前のように思っているらしかった

そもそも養育費とは実の母か父が子供のために払うものであって、

祖母や祖父が払うものではない、ましてや子供の配偶者の援助する義務なんてどこにもない

怒りと通り越してあきれていたものだ

僕はここでまた義母に対する強烈な怒りを覚え始めた。

義母が娘に旦那の両親から援助してもらうのは当たり前と言っているのだろう

現にそれ以前に、家内が「母(ぼくにとっては義母)が裁判すると言っている」

と聞いたことがあったからだ

こういう言動だけでも腹立たしいのに、

それに加え、僕は義母に対してはらわたが煮えくり返るような激怒を覚えた

当時あまりに憤りを感じた僕は・・

ネット上の相談サイトに事情を匿名で投稿し、相談を求めた・・

もちろんネット上の相談サイトなどで解決できることではないことは理解していたが

僕はたぶんこの相談サイトに自分の憤りを吐き出す(書く)ことによって

怒りを納めようとしていたのだと思う

その相談の投稿内容は今も残っている・・

以下のURLだ

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5219758.html

http://okwave.jp/qa/q5217555.html



僕が義母に対してはらわたが煮えくり返るような激怒を覚えた理由は実はこれだけではない



その理由は更に18年前にさかのぼることになる・・



当時、義母は生命保険の外交員をしていた

そして何を思ったか、神戸三宮でスナックの店をひとりで始めた

当時の僕は行動力のある女性だな・・

僕はと正直、感心していたものだ




ところがある日・・

僕にお金を貸してほしいと言ってきた。。

????

結婚したての娘の亭主にお金の無心である

これは普通じゃない・・僕は直感で何か嫌な予感がした

その予感は的中した

サラ金闇金に近い)からかなりの借金をしていたのだ

そして返済ができず、毎日のように督促の電話が入っていたのだ

これは危険だと思った僕は義母に追求し洗いざらい話をさせた

そして分かったことは

十数社のサラ金から借金をしており

更に友人からも100万単位の借金をしていたのである

これはすぐにでも破産手続きしなければいけない!

そう思っ僕は、当時経営コンサルタント仕事をしていたおかげで

敏腕の民事専門の弁護士を紹介してもらい、すぐに相談に行った

弁護士から、まずはすぐに債務を全て整理しなさいと言われ

義母の借用書なとを全て出させ、借金の全てを洗いざらい調べあげた

その結果・・・

おどろくべきことにサラ金だけで総債務額が2300万円もあったのだ!

その他にも友人からの100万単位の借金を合わせると3000万円近くにのぼった

僕はなぜこんなにまで借金をしたのかと義母に詰め寄った

そして分かったことは義母が勤めていた生命保険会社(仮にA生命保険とする)で

成績を上げるために架空の契約書を作成し、保険料は自腹で払っていたのだ

そんなことがその生命保険会社の外交員同士では日常茶飯事だったこと判明した

そして外交員同士でもお金の貸し借りを相当しているようだった

これが前述の「鉄の女」の実態だったのだ

弁護士さんにはもうすぐにでも裁判所に破産申告をしてもらうように依頼した

ところがまた別の問題が持ち上がった

義母は当時神戸に自宅があり、妹さん義母の母(家内の祖母)と同居していた

つまり破産するとその自宅が債権者であるサラ金業者に渡るというではないか

理由はこうだ
義母の母(家内の祖母)の持ち物であるその家は義母の母(家内の祖母)が死亡した

とき(数年前に亡くなられた)その相続分(自宅資産を兄弟4人で分割した分)が

義母の資産となるので、それを債権者に差し押さえられるというのだ

そこで僕は、義母が義母の母(家内の祖母)が死亡したときに相続放棄するという

念書を作り、差し押さえができないようする手段を講ずることにした。

でもその念書には義母の兄弟全員の署名が必要だという

事は急ぐ!

だから僕は当時東京に居た義母の弟に署名をしてもらうべく

すぐ日帰りで上京してして弟さんに事情を説明して署名してもらい、

すぐに神戸に帰った

そんなこんなでなんとか破産手続きをしてもらい免責を得ることができそうになった

でも義母はサラ金業者からの借金は免責を受けても良いけど

友人からの借金で免責を受けるのは申し訳ないと言った

そのとき弁護士は

「そういう友人には免責を受けてからちょっとずつ返済していけばよい」

と言ってくれた、

そのとき義母は涙ながらに一生かけても帰していきたいと言っていた

そして数か月後免責がおりた。

僕は本当に必死の思いで弁護士といっしょに処理をした

自己破産手続きの手伝いを僕がしていると知ったサラ金業者は

ときには脅しに近い電話が僕に入った

ヤクザまがいのサラ金業者に追いかけられたことさえある

交番に駆け込んでも警官には

「警察は民事不介入ですから・・」

と追い出されたりもした

まるで映画「浪速金融伝」のような感じだった

そんなこんなのドタバタでなんとか免責を勝ち取った義母は神戸を離れた

なぜならサラ金業者だけではなく、

友人からの借金まで免責をしてもらったことで

(つまり友人の借金を踏み倒したことになる)から合わせる顔がなく

もう神戸には住めないとい理由だった

息子さん(僕にとっての義弟)の手配で長野に仕事を

見つけることができたこともあって長野に身を隠した


これで一見落着かと思ったら

それから2,3年後のある日義母が長野に(お店を出すのに)いい物件が

あるから別荘にもなるから買わないかという連絡を妹さん

(その5年後に50代という若さで亡くなっている)

にしてきた。

そして妹さんに手付金(数百万)を払えと言ってきた

なぜなら義母が勝手に手付の契約に判をしていたので払わざる得ない状況だったのである

妹さんは「自己破産した可哀そうな姉のため・・」と渋々払い込んだのだ

手付金は払ったとしても手付金以外の残りの金額の支払いをしなければならない

破産者は7年間は金融期間からローンはできない

どうしたか・・

なんと!

息子さん(僕の義弟)の保証枠で息子さんの名義でローンを組んでしまったのである

もう開いた口が本当に塞がらないかと思うほどの衝撃であり、驚愕であった!

そして、その5年後・・

癌で亡くなった妹さんがコツコツとた貯めた1000万円近い貯金を

亡くなる際に、姉に遺産の意味で残してくれた

そのおか金のおかげでローンは完済した

で・・まだある

ローンも完済できた義母は、

なんとハワイ旅行にひとりで出かけ・・

免税店で

買ってきた大きな黒真珠の指輪を僕に見せて自慢していた

そのとき義母はこう言っていた

「自己破産という苦労をして、今まで質素に生きてきた自分へのご褒美だと思っている」

と ・・

妹さんに手付を無理やり払わせ、息子の保証枠を使い、最後には妹さんが遺した遺産で

数千万円もの別荘を購入した人が「質素にしていた」と胸を張って言った



でも、未だ自己破産時の個人(友人)からの借金は1円も返していない

法的に免責は得ているけれど、いわゆる人間としての「償い」をしていない

だから今でも神戸には帰って来れない・・


そんな義母が僕の両親に言い放った言葉が今でも僕は許せない

そして僕の家内は家内で、この4年間一切の就職活動もせず、専業主婦を満喫している

僕がこの身体でなんとか稼いできた額面たった10万円と僕が必死で申請して通った

障害者年金の中から生活費として8万円(4人世帯の全国平均は68000円)

渡しても

以前(僕が健常者の頃渡していた10万円)より少ないと不満を言っている。。


昨年、私も息子が中学になったら働いて稼ぐと言い始めたので、

(家内を見直そうと思ったら)

なんとピアニストになって稼ぐと言いだし、

なけなしの生活費からピアノ教室に通い始め


ピアノを修理し、調律に代金を払い、毎日ピアノを弾いている

ピアニストで飯を食うなんて・・

音大を卒業し、
ウィーンなどへ海外音楽留学しても

ピアノで飯を食える人なんてほんの一握りだ・・


大した度胸だと思う

そこまで言ったのだから、

息子が中学になったあかつきには

僕は絶対に生活費はっ渡さないと決めている

当り前だ、

そもそも法的にも夫や妻が病気や事故、もしくは障害等で

働けない状況になったときのせ生活扶助義務は第一義的には

あその配偶者にある。

それが婚姻における相互扶義務というものだ。

僕は少なくとも、こんな身体でも仕事を探し続け、でき得る限り働き、

義務は果たしている。


僕は生きるパートナーになったつもりだったが、

病気になろうが、

障害者になろうが

働かされるという奴隷になったつもりはない


そして・・

息子の春休み、夏休み、冬休みには家事がまともにできない

僕をひとり残して息子といっしょに

義母の住む長野の別荘に行き、家事のない別荘生活を満喫している


実はまだある。

ちなみに僕の脳出血の原因はもやもや病という難病なのだけど。

それがなんと息子にまで遺伝してしまったのだ。

そのためもやもや病特有の発作である虚血発作を起こさないために

息子は脳血管のバイパス手術をしなければいけなくなった。

親にとってはとても辛いことであった。

そのため脳神経外科で脳血管のバイパス手術をすることになったのだけれど

その時なんと義母は僕の母に対して

「この問題は岡下家の問題だから手術の費用は岡下家も持て」

といったようなことを僕は母に電話で(慶応大出)だからなのか

高卒も私の母には何一つ口を挟めないような。たくさんの言葉を使って

そのようなことを言ったようだ。

僕の母は何も反論できず、

仕方なく?

孫の為と思って手術費用を僕に託して払ってくれた。

おそらく義母は自分は正しいことを言っていると思っているのだろう。

同じ人間でもこれほど価値観?が違う人間がいるものなのだ


世の中こういうものなんだ・・


と僕は修業のつもりで生きている

そんな中で僕は自分の希望としてNPO法人を設立し

再生可能エネルギーの普及活動に取り組んでいる・・これも修業だ


このことを思い返すにつけ、僕は苦悩してしまう

まだまだ心の修業が足りん

まだ器が小さいうとこかな・・