痛みと闘う

清原迪夫著の「痛みと闘う」という本を読んだ。

現代医学で唯一捉えられないものが「痛み」だそうだ。。

こればかりはMRIでもCDスキャナでも捉えることができない

唯一のヒントが患者からの言葉だという。

しかしその言葉も患者が本当に感じていることを適切に表現しているとは言いない
僕自身、左半身にしびれや痛みがあるが、たしかにこれは表現が難しい「何とも言えない強烈不快感」である。当初、僕はこの「得体の知れない不快感」をどう表現して良いのか分からなかった。
とにかく「辛い」としか言いようがないのである。
清原先生がいわく、痛みとは「叫び」であり言葉ではない。
経験したことのない人に正確に伝える言葉がないので「痛む」「しびれる」「こわばる「めくれる」などの表現を使っているにすぎないと・・


まさにその通りだと思う。
「医療は痛みに始まり、医療の終わりは痛みの終わりである」とも書かれている。
そして痛みを和らげる唯一の方法とは患者のそばに座って患者の訴えを聞いてあげ、体の痛みや心の痛みを鎮める努力をしてくれて傍にいてくれるヒトであるという。

人は心で痛みを和らげることができ、逆に心で激痛にもなりうるという。
最新の医療知識と医療技術を注ぎ込んでも、一片の言葉の端が患者の心に突きささったならばその努力は水の泡になるという
だからこそ医者は患者の訴えを聞いてあげ、「痛み」を和らげる努力をする姿勢を見せてあげることが大切なんだと思う。

僕自身当初感じていた痛みとも痺れとも何とも表現できない「不快感」についてキチンと耳を傾けてくれた医者がほとんど存在しなかった。

近所に新しくできた同神経外科医院の医者は
私が「痺れと言うか痛みというか何とも言えない不快感が左半身にあるのです」と訴えたとき、
なんと「それでは分かりません。私にどうして欲しいのですか」という回答したのである。
その時の目は根性無しとでも言うんばかりの侮蔑の目であった。その目は一生忘れないだろう。

さらに「じゃあMRIがCTでも撮ってみるか」と言われCTを達成された。
しかし「痛み?」の原因が分かるわけでもなかった。
自分なりに調べてみたら、中枢性疼痛というもので、脳卒中を起こすと起きやすいが明確な原因や治療方法はなく更に理解されにくいと書いてあった。

あげくのはてにそ医者は「あなたはモヤモヤ病に起因する脳出血なので再出血の恐れがある
もし再出血したら、私の医院では対応できないからかかりつけ医にはなりません。他の大きな病院かかりつけ医になってもらいなさい」と言われた。

対応ができない??

一体どういうこと?

あなたの医院には大きな看板で「最新のCT設備完備、マルチCT・最新MRI脳ドック

というアピールをしている。

検査をするが、検査で問題が見つかっても対応ができない?

要するに「脳神経外科」という看板を立てながら、リスクの高い手術は行わず、リスクが低く診療報酬が高い検査しかしないというのか。そんなふうに感じて、心の中では激恕していた。

結果的に私の痺れというか「痛み」を和らげてくれたのは、なんと近くの心療何内科の先生だった。

この先生は私の言うことを親身につだって聞いてくれた。そして適切だろうと思われる「 抗うつ剤」を処方してくれ「も効かなかったらいつでも来てください」と言われた。

「相手を思う心」を感じると心の痛みだけではなく体の痛みさえも癒してくれることが分かった。

そんな経験から僕はどんなことするにあたっても「人の心」を大切にしていきたいと思う。

どんなにすばらしい技術があってもそこに「心」がないものはの役にも立たない。

というのが今の僕の信条である。

これは何も医療の現場だけではなく一般社会の中でも通じることと思う。
人と人との関係・・すべての心である。

心の持ち方次第で全てを変えることができる。
これこそが人間である所以だ。

だからこそ「人の心」を傷つけることほど恐ろしいことはない