僕の息子が大人になるころに実現したい社会とパラダイム変換

ライフスタイルのパラダイム変換なくして、エコ技術だけでは持続可能社会は不可能だといわれています。なぜなら現在の延長線上の拡散型の技術発展や経済発展には限界があるからです。
現在HV車や太陽光発電パネルを筆頭に、これだけたくさんの「エコ製品」が開発されているにも関わらず、一向に環境問題解決bの兆しは見えてきていません。
それどころか、得たいの知れない不安が世界を覆い始めているような気がしませんか。
人々の生活は「劣化」する一方だと感じませんか。


ライフスタイルのパラダイム変換をするためには既存の価値観を捨ててしまう必要があります。
既存の価値観の大転換が必要です。これには苦痛も伴います。

しかしパラダイム変換してしまえばそこには本当の安息が待っていると僕は信じています。

僕自身がパラダイム変換を余儀なくされました。
障害者になってしまったことによって、「スポーツが楽しい。」という価値観を捨てなければなりませんでした。

なぜなら、もう走ることや泳ぐことはできなくなってしまったから、、、

そこに価値観を持ち続けている以上、精神的に、苦しみ続けなければならないから、捨てるしかなかったのです。生理的な欲求までも捨て去らなければならないことがたくさんありました。
たとえば僕は、そこそこ体力もあり、特に水泳には自信がありました。
体力があり強いということに価値を感じることをすべて捨て去らなければいけませんでした。
これは僕にとってとても辛いことできた。
人間人それぞれに、「自分の誇り」というものを持っていると思います。
そういったものを捨てることは、大変な精神的苦痛が伴います。
これらは、そう簡単ではありませんでしたが、昔の価値観を捨ててしまうことによって、
本当に心を癒すことが、できるようになったと感じています。

その経験からこれから人類に必要なライフスタイルのパラダイム変換とはこのように考えます。

まずそのために捨てなければならない価値観の代表的な例は、下記の3点だと思っています。

① 大きい、速い 強いことに価値を感じる(快感を感じる。)

② よりたくさん持つことに、価値を感じる(余裕を感じる。)
  
昔、私が生産性向上の重要性についての話をしたときに、「ムダこそが贅沢である。」と言ってムダの中にこそ心の余裕が生まれるといった人がいますが、こんな価値観は完全に捨てる必要があります。

③「勝つ」ことに喜びを感じる。
 これは動物としての本能的な欲求ですが、これさえもさなければならないと思います。

たとえば一昔前までは、多くの人「自動車は大きくて速くて馬力がある自動車」に価値を感じていた時期があったと思います。私自身もアメ車に乗っていました。燃費が悪いですが、、馬力もあり、高速道路などで他の車に加速時に負けないということに快感を感じていました。

機能障害者になったこともあり、他の人より遅くて当たり前、そのことに劣等感を感じることはなくなりました。そのことに劣等感を感じるよりも、障害者になっても、事業を立ち上げることができ、しかも社会貢献できるような事業である事の方に価値を感じており、「人より遅い」ということに全く目を向けなくなりました。そんなことはどうでもよいことだと気づくようになりました。
僕の気持ちがここまで辿り着くにはたくさんの苦痛を伴いました。
僕の持っていた多くの価値観を捨て去りました。

これがパラダイム変換と言うものだと私は考えています。

よく評論家がテレビで、パラダイム変換が必要だなどと言っているのを聞きますが、
この人はパラダイム変換というものがどれほど苦痛を伴うものか理解して話しているのだろうかと思うことがあります。頭の中だけで考えた現実感のない「観念論」でしかないことを言う「識者」がとても多いように思います。
パラダイム変換の必要性を叫ぶなら、パラダイム転換の後にどのような生活がイメージができるのか、
より具体的に示すことができなければならないと思います。

既存の価値観を捨てた後に、見えて来る具体的ライフスタイルが魅力のあるものであれば、
人は「既存の価値観を捨てる苦痛」に耐えることができると思うからです。


その具体的な世界を実現するために今何が必要なのかという観点から技術開発をする必要があると思うのです。

目石油が枯渇する可能性があるという理由で投機筋の影響で、目先のガソリン価格が上がったから、
低燃費の自動車開発をする。風力発電設備を開発する。太陽光発電設備を開発する。

これだけでは、その開発された設備を大量使用することで、環境に行くとしているという錯覚を起こしているだけで結局はその設備生産に必要な資源(レアアースなど)大量消費することになり、「資源枯渇」という問題からは永久に逃れられないということになるような気がしてならないです。

有限な地球、一つしかない地球において人類の持続可能な社会を考えるにあたって、
日本の江戸時代の文化にヒントが隠されていると考えています。
江戸時代は鎖国政策によって、「限られた世界・資源」のもとで持続可能な社会を実現するために、
工夫されたライフスタイルがそこにはあったのだと感じます。

たとえば壊れた茶碗の破片を継ぎ足して、その上から漆を塗りまったく新しいデザインで茶碗を再生するという文化、たとえば壊れた食器を継ぎ足して再利用するなどという文化はは世界中どこを探しても、日本の江戸時代にしかなかったそうです。その他にも、建築についても、江戸時代に作られた建築物はそのすべての部材が再利用を前提に作られていたのです。
つまり「壊れてもしてることをせず再利用する」という文化だったのです。

このような文化は世界に誇るべき文化だと思います。



日本の持つ江戸文化という鎖国と言う限られた社会と
現在の一つの地球の有限な化石燃料しかない限られた現代社会は一致する部分が多くあると思います



私の子供が大人になるころに実現したい具体的ライフスタイルイメージを
ここで箇条書きに紹介します。

太陽に合わせて活動する社会
地球を人間も、太陽といっしょに活動しています。この太陽に合わせて大自然は、発展してきました。
自然のリズム=太陽のリズムだと思います。

そして自然のリズムに合わせた方が、心にも体にも、そして、経済的にも都合がよいことに気が付く人が、増えてきて、人口減少や高齢化が、進むなかで、所得が低下する一方、電気代や水道などの生活コストが増大してきた。夜は、早めに電気を消して眠る人が多くなります。
人々は、日の出と日の入りに合わせて動作する「太陽時計」に合わせて暮らすようになっています。
は、太陽が眩しくて目が覚めるのです。なぜなら、夜は、庭のベットで眠っているからです。
人口が減って、土地が余り、また中で暮らす人が、増えたため、広い。広々とした庭があり、
庭でもプライバシーが保てる家に住むこともできる人が多くなります。
庭は食事や団欒、料理をする場所と庭と部屋の境が明らかでなくなり、庭でゆっくりと、眠る人が、増えています。

ダークな夜を楽しむ生活
エネルギーが少なくなり、電力が高くなったため、夜はなるべく電灯をつけず、昼間の間に、太陽の光を蓄えた蓄光塗料が辺りに塗られているので、蓄光塗料が放つほんのりとした光だけが辺りを照らしています。電燈のようにまぶしないため、さらには、満天の星を見ることができ、その星を眺めながら
眠りにつくことができるようになっています。

シンプルな家電が売れている社会
壊れにくく、仮に壊れても、自分で、直すことができる。作りが、素朴な家電が、売れるようになっています。高性能でも、複雑で直し難い家電は避けられるようになっています。。


ほうきを上手に使いこなせるのが、カッコイイ。隣で炊いたご飯がなんともおいしいということに皆が気付き始めています。電力料金が上がり炊飯器や電気掃除機を使うのを避ける人が増えています。

利便性を求めるよりも、自分の手足で、掃除・整理・整頓を行うことによって、きれいにすることの
満足感が素晴らしいことに気付き始めています。自分の手で手をかけたモノには対する愛着がわき、
大切にするようになっています。

土の質が良い土地の価値が上がります。
これまでのように大人までの距離や駅までの距離で不動産の価値が決まらなくなってきています。
エネルギー価格の高騰で食糧輸送が高くなり、輸入食料品はもとより地方の食料も、高くなって
きたため、自家菜園での作物を作る人々が増えてきています。
過疎化が進みつつあった地方で、1アールほどの農地付きの住宅が分譲され人気を集めています。
その時には不動産は土の質で価値が決まるようになっています。

お年寄りの保育園が人気です。
地域の老人が経営する保育園が、あちこちにでき評判になっています。
リタイヤした。お年寄りたちが、起業し、共働きの家庭の子供たちの面倒を見ています。
切り絵を楽しんだり、あやとりを教えたり、近くを散歩して、植物や虫の名前を教えたりしています
おじいさんとおばあさんの保育園が評判になりどんどん増えています。


「電気を貸してください。」お隣さんが訪ねて来るような社会

人々は人と人とのしがらみを断ち切るために、長屋暮らしを止めてしまい、プライバシーを極力守るため、マンションのような住居を選んでいましたが、その結果、地域の絆がどんどんなくなっていきました。人々のプライバシーを保ちながら、ライフラインとしてのエネルギーを分かち合う社会が出来上がり、地域共用型電池というものが出来上がり、それぞれの家庭で、太陽光パネルや小さな風力発電を使い、電気エネルギーをつくようになっています。そして、外出時には使わないので、余った電力は、地域共有型電池というところに備蓄されていきます
しかしこれらの電気は売り買いするのではなく、余ったエネルギーは、日本的なおおらかさで、地域で分け合うというライフスタイルができています。そのことによって、プライバシーを保ちながら、エネルギーを分け合う新たなコミュニティーが生まれています。


こんなライフスタイルになればいいななんて考えています。。

そのためには、大きなパラダイム変革をしなければなりません。
たくさんの既存の価値観をつける必要がでてきます。
たとえば
「利便性に価値を感じること」捨てなければなりません。
夜でも仕事頑張ってをするという価値観や夜でに遊びにいったりすると
いう楽しみの価値観も捨てけなければなりません。

利便性とは人の行為の代行をしてくれる機械があることではないかと思います。
しかし自らが苦労して、操縦して、終了し、モノを大切にすることの喜びを知る必要があります。
そうすれば利便性の価値観を捨てることができます。

こんな世界を実現するために今何をすべきでしょうか。

HV車を大量生産することでもありません。

省エネの食器洗浄機を大量生産することでもありません。
いわゆる「エコ家電」というものも、大量に購入することでもありません。
LED電球を使ったクリスマスツリーを大量に家に飾ることでもありません。

もちろん高性能なカメラのついた帯電話を開発することでもありません。


ライフスタイル全体を再デザインすることが大切です。
そのライフスタイルをデザインするために、必要な公共事業はたくさんあるはずです。
それこそが政府の仕事ではないでしょうか。
政府ができないのであれば、僕提案します。僕が、みんなで議論し提案し続けます。

今こそこの宇宙に一つしかない地球という限られた世界のなかで皆がいつまでも「豊か」に暮らしていくことができるライフスタイルをみんなで想像しましょう。
ジョンレノンの「イマジン」じゃないけれども、具体的にきちんと想像してみると、
以外と簡単なのかもしれないではないでしょうか。
「限られた自然と、制約のある世界」のなかで、人々が、豊かに暮らしいくためのライフスタイル
これをより具体的に想像することでこれから何が必要かが見えて来るはずだと思います。