持続可能な社会を実現できるのか

20世紀後半から環境破壊が世界的に問題視され「持続可能な社会」をめざそうとCOPなどの
世界的な取り組みが進められていいますが、ますます理想と乖離してきているのが現実です。
なぜなのだろうか。
人間が利便性を追求する限り、どんな「エコ製品」を作ってもそれを大量消費し、環境破壊を促進してしまっているのが現実です。

人間は「生きる幸せとは何か」という価値観を根底から覆さないといけないのではないだろうか。
これも「ネイチャーテクノロジー研究会」でしたことだが、割れた茶碗を再度破片を接着し修理して
裂け目の上から漆で絵柄をあしらい再利用するという江戸時代から存在するこのような文化は世界中探しても日本にしかないそうです。

そういえば、最近の製品は壊れたら捨てて新しいものを購入するというサイクルになってしまってないだろうか。昔はテレビでさえも映りが悪くなれば、真空管の交換をして「修理」をして再度利用したものだ。
最近の電化製品は電子基板に依存しているので、調子が悪くなっても素人では到底修理などできない。
電気屋さん」でも不可能だ。だから、廃棄して、新しい製品を購入するしかない。


「修理して使う」というライフスタイルが現在は完全に消滅しているようだ。

僕はこの「修理して使う」ということに対する喜びを感じることが大切なのではないかと思う。
それはモノに対する「愛着」でもある。
日本人は古来からモノに魂がある。神が宿るという考え方を持っている。
だからこそ壊れたモノを自分で修理して、再生できるとその「モノ」に対して愛情さえ感じてしまい
喜びを感じる。昔、壊れたおもちゃを自分で修理してきちんと動いたときには、そのおもちゃが
「生き返った」ような気がして嬉しかったものだ。
こういったことに対してに喜びや幸せを感じることが大切なんだろう。


プリウスを購入して、どこかが壊れてもも、今の自動車修理工場の修理工ではおそらく誰も修理できないのではないだろうか。
だから(お金があればだが)廃棄して再購入する。

いくらエコカーだからと言ってもプリウスを100台買い替えることが環境に良いと思えない。
それよりも、多少燃費が悪くても、周囲を繰り返し100年使い続ける方がよほど環境に良いと思う。


人類全体がこういった「思想」と言うかライフスタイル、「なに幸せを感じるのか」という根本的な価値観を変えることをしない限り持続可能な社会なんて実現できないような気がする。

人間に利便性をを追求する欲望が存在する限り難しいのではないだろうか。

面倒くさくてもモノに対する愛情から修理してあげて、再度使ってあげるという日本的な文化はとても大切なものなのだと感じる。

そして僕も麻痺した左半身を「修理?」(リハビリ)して再生して生きていくことに努力しよう。

確かに「修理?」(リハビリ)は辛くて面倒臭い。いっそのことこんな役に立たない左手足は切り落としてほしいと思うこともある。

まずは自分からだな・・