本気で生きているか。

僕は、健常者の頃はしばしば自分に対して「自分は真剣に生きているか」と問いただすことがあった。

それは仕事などに行き詰まった時、僕の尊敬する松下幸之助の著書「道を開く」という本の中にある
「真剣勝負」というページを思い出し、自分に言い聞かせていたものだ。

しかし「本当に真剣か」と自分に問うてみると、自分で自分に対して答えに窮していたのが本音である。

「真剣勝負」とはその名の通り、竹刀や木刀などではなく斬れ味鋭い真剣で勝負することである。

一瞬の気の緩みが死を招く。そんな状況である。日ごろから常にそのような姿勢で仕事に取り組んでいるか
生きているかと、問われると正直言って答えに窮していた。

不思議なことだがこうして障害者になってしまった今、「本気で生きている。毎日真剣勝負で生きている」
と堂々と言えるのである。それはたぶ出血性のモヤモヤ病による脳出血を患ったため、
通常血圧であっても再出血のリスクが高いという状況であり、常に「死」という文字が頭の中にあるからだろう

覚悟はできている。

そんな気持ちの中から「本気で生きる」姿勢が生まれてきたのだろう。

それはとても幸せなことでもある。。

なぜなら日々本気で生きているという実感があると、「悔い」がなくなり「死が怖くない」と言えるからだ。

脳出血で倒れる前も、一生懸命生きてきた。そして無理をして倒れた。
だから無念ではあるが一切「悔い」はないと言える。
でも健常者の頃は「死」は怖かった。
その意味では真剣勝負はしていなかっただろう。

「死」が怖いと思っている間は「本気で生きる」ことなんてできないと、今僕は思う。
こんな風な実感を持って生きていると本気で生きている人とそうでない人に不思議と敏感になるものだ。
残念ながら今の政治家には「本気」を感じることができない。
尖閣諸島問題対応しかり、確かに弱腰外交といえるが、別に本気=反撃だとは思っていない。
本気であれば「本気で知恵を絞る」こともできるだろう。
「狂犬」に対するむやみな反撃は単なるバカのやることである。「能ある鷹は爪隠す」

 しかし尖閣諸島問題の対応に対して、某官房長官は弱腰外交いう批判に対して「したたかな柳腰外交である」という表現で対抗したが、どうみても本気で知恵を絞った形跡は見られない。

少なくとも今の僕は本気である。さまざまなリスクを承知だ。他人から見れば無謀でできもしないことかもしれないが、僕を本気である。だから本気で付き合ってくれる人間以外は相手にしない。
たかが45年の危険かもしれないけれども僕の経験と知識をすべてを総動員してかかる。
それが凶と出るか吉と出るか、そんなことは運を天に任せる。

来週の月曜日からの大事な上京を前にして、「本気で生きているか」とあらためて自分に問いながら、
こんなことを今考えていた。