循環型社会と再生可能エネルギー

循環型社会と再生可能エネルギー


現在、地球資源の枯渇が近い未来に迫っていることが現実化してしたなかで、循環型社会の構築と再生可能エネルギーの研究開発が世界各地で進められている
循環型の社会を作る。多くの環境に関係する人々、消費者、企業や行政の担当者が考えている共通のテーマであるはずだ。循環型社会をつくるということは、すなわち大量生産、大量消費、大量廃棄のこれまでの一方通行的な産業や社会の構造を変えるということである。

 われわれは毎日、何らかの生産に携わっている。それが情報技術産業であれ、物づくりであれ、農業とか林業、漁業であっても、同じ生産の世界である。そのエネルギーはこれまでは石油や石炭などの化石燃料が中心だった。つまりエネルギーを使ってモノを作るのである。

 出来上がったモノは消費される。消費したあとに残るのがゴミである。われわれはそれを自由に、好き勝手にゴミ箱へ捨ててきた。それを捨てずに、再資源化しようというのがリサイクルの世界である。

 けれどもリサイクル技術がいくら発達しても、それだけでは循環型社会は完成しない。物づくりの基本であるエネルギーが、石油のような限りのある資源に依存している限り、循環型社会は成立しない。石油がなくなったら、物づくりはストップする。もちろん消費もできない。過剰な物づくりに嫌気がさしている人にとって、それは理想的な社会かもしれないが、産業や社会は活力を失ってしまう。

 循環型社会を作るためには、エネルギーそのものを見直す必要がある。クリーンで枯渇しないエネルギーへの転換である。それが再生可能エネルギーと呼ばれる世界である。
これを「永久エネルギー」と呼ぶ人がいるが、この言葉遣いは間違いだと思います。
地球という星が有限である以上「永久」なるというものは存在しない。
あくまでも「再生可能」である。これさえも再生率が100%ではないわけだから「元エネルギー源」は時間の経過とともに減っていくのである。


 再生可能エネルギーは、太陽、風力、水力、そしてバイオマス(生物資源)である。これらは基本的に太陽がなくならない限り常に地上に供給されるエネルギーなのである。

 これらのエネルギーは、これまでの産業社会や為政者に疎んじられてきた。とくに日本ではそうだった。なぜか。大規模にしかも安定的に供給することが至上命令だった現代社会のシステムにそぐわないと思われていたからだ。けれども、仮に不安定なエネルギーであるならば、安定したエネルギーとして使えるようにシステムを開発していけばいいのである。できないなら、できるようにするのが技術であり、研究者なのである。

これを「永久エネルギーの研究開発」と呼ぶ人がいるが、この言葉遣いは間違いです。
あくまでも「再生可能」である。これさえも再生率が100%ではないわけだから「元エネルギー源」は時間の経過とともに減っていくのである。

たとえその方法で1000年エネルギー供給が可能だとしても決して「永久」ではありません。
たとえば、石油を初めて発掘し、動力のエネルギー源として使い始めた頃は、当時の利用を規模から考えて
「無尽蔵」にあると考え、人類は無秩序に使い続けてきたわけである。その結果、現在石油資源の枯渇が
間近に迫っているのである。

僕が健常者の頃、メイド・イン・ジャパンの製品を世界に販売していく事業をしているなかで、
あるカザフスタンのビジネスマンと話をしたことがある、彼らはメイド・イン・ジャパンの製品を
欲しがっていました。どういうものが欲しいかと聞くとメイド・イン・ジャパンの製品は品質が良いから
何でも良いという。たとえば紙オムツ生理用ナプキン、これらは日本の吸水性と使い心地という面で世界最高の品質だというのです。

そこで僕は、日本の省エネ製品は必要ないかと尋ねました。
その時の回答がい今だに頭に残っています
「省エネ?カザフスタンにはまだまだ石油が沢山あります」

「あと100年はなくなりませんだから必要ありません」

この回答は僕にとって、結構衝撃でした。

要するにするに100年は石油があるから省エネなどする必要ない。
100年先に石油枯渇しても自分が生きてないからそんなことは知ったことではない
と言わんばかりであった。
「国家100年の計」という言葉があるが、この人にはそんなことはどうでも良いのだ。

そう感じてなんだか空しい気持ちになったことを覚えている。

よく考えると太陽でさえ永遠ではないのである。

僕は子供の頃、宇宙の本を読んだときにどんな星も最後には白色矮星となり死ぬということ、スススス
とき、さらには太陽の場合、白色矮星となる前にどんどん巨大化し、地球を飲み込んでしまうという
ことをしたときとても恐ろしくなった。それを親に言ったとき
そんなことはし数億年先かもしれないし数10億年先しかもしれない。そんなこと考えても仕方ない
それよりも明日の仕事の方が大事というようなことを言われたことを覚えています。
そのころは僕にとってはどうも納得ができていなかった。
実際に石油資源の枯渇についても、同じような考え方で先延ばし、先延ばしにした結果、いつの間にか
「目の前の危機」になってしまっているのだ。

これは人類の愚かさなのだろうか、それとも仕方のないことなのだろうか。

その答えはまだ僕にはありません