死の準備

正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

ご存知の方も多いと思いますが、
これはあの有名な一休さん(僕の誕生日と同じなので僕にとってはなんだか昔から親近感のある人です。)の詠んだ有名な歌です
この歌の意味は、お正月なんて死に向かって行く中での一つの一里塚にすぎず、
正月が来れば来るほど、死に近づくわけだから、お正月なんてめでたくも何ともない。
おめでたいと言ってる大衆は愚かだという意味の歌です。

確かに人間は、生まれたその瞬間から死に向かって歩いている。
生きるということは死への旅路と言っても過言ではないと思います。

つまり、人間いつか死ぬ。この道に変更はない。
しかし死を恐れてばかりで良いのだろうか。
この旅路の終着点は動物も人間も同じだけれども
人間だけがこの旅路にあらゆる方法で対処し、旅の道筋を変えることができるのではないだろうか

いつ死ぬか分からないけれども、それをコントロールすることもできないけれども

死ぬまでに「これだけをやっておきたい」「こういう生き方だけはしておきたい」と考え、
それを実践できるのも人間だけだと思います。
生きた証を残すこと、生きざまを残すこと、これは死への準備とは言えないだろうか。
来たるべき運命に備えて、いろいろと計画し生きる。
人間なんていつ死ぬか分からない。
僕自身倒れた場所が少し違っていたら2年前にとっくに死んでいたかもしれないのだし・・

死ぬことを恐れるよりも、この「準備」ができていないことを恐れるべきではないだろうか。
僕も、「無念でも後悔のない人生」であったと言えるようににしたいと思っています。
そういう「後悔のない人生」を送ることの方がすることを恐れるよりも大切だと思っています。
「後悔する人生」を送るほうが、死ぬことよりも恐ろしいと思う今日この頃です。