論語読みの論語知らず・・いつ許せるだろう一生無理だろう

日頃偉そうなことを言っている人に限って、いざというときに何もできない。

「いざというときには助けていやるよ」というような奴に限ってイザというときには何もできない
なぜなら「いざ」とは「只今」現在のことだから・・
これは葉隠武士道の一節だ。

そして「論語読みの論語知らず」という言葉がある。
これは論語の事は知識としては知っているが、自分の生き方に全く生かすことができていない
「頭でっかち」の人間を指すそうだ。

これは自分の恥をさらすようなことだが、妻のことである。
リハビリ病院の退院した去年の春から夏にかけて、僕は実生活に入って、あまりにもできなくなったことの多さに初めて気がつき愕然とし、そしてさらに当時得体の知れない中枢性疼痛の痺れに24時間苦しめられるこことから、現実を受け止めきれず、正直毎日のように「苦しい」「苦しい」と恥ずかしながら弱音を吐いていた。しかもその状態で、会社の破たんに伴う自己破産をした上、全くの無収入状態だった。当時は自己破後に残っていたわずかな預金(自己破産で免責を受けるためには現金預金を99万円以下にしてその他の資産はすべて、債権者に分割しなければならない、つまり99万円だけ預金として残せるのだ)で食い繋いでいた。将来の見通しは全くなかった。
そして老いた私の親 家の家賃だけは援助してくれた。
僕にとってはそのこと自体が自分にとって「恥」だと感じていた。
45歳にもなる大の大人が、年金暮らしの老いた親に面倒を見てもらうなんて「恥」以外の何物でもなかった。そんな不甲斐ない自分が許せなかった。身体的障害だけでなくこんなことも自分を苦しめた。

その年の夏である。
妻がなんと「もうあなたの面倒を見るのに疲れたから、実家に帰って休ませてもらうわ」と言って、遠方の実家に息子と二人でまだまったく「自立」出来ていない僕を残して帰ってしまった。
そして私の老いた母親が、私の介助に来てくれた。

確かにその時期は僕にとって人生の中で経験したことない最も精神的につらい時期でもあり、「弱音」をはいていたことには違いない。正直僕は最も勇気づけてほしかったのは妻であった。
しかしそうではなかった。僕が甘かったのだ。大黒柱でもある僕が弱音を吐くべきではなかった。
その時最後に言い放った言葉は今でも忘れもしない

「もう疲れたからあなたとは離婚して、あなたの親から養育費をもらって生活保護受けて暮していきます。だってあなたが病気なったのだから、あなたの親が私たちの面倒を見るのは当然でしょ」
正直ショックだった。
まさかこんなことまで言われると思わなかった。
そして夏の終わり、息子の幼稚園が始まるという理由で帰ってきた。
それまでに僕は、しびれる体をこらえて必死で仕事を探した。
そしてやっと1件見つかった。在宅でできる仕事だった。
手取りでたった月額7万円程度の仕事だった。
妻はそのことに対して
「今のように前向きに生きるあなただったら、いくらでも支援する。仕事のお手伝いをする」と言ってくれた。
よかったと思った。
しかし、その仕事のなかで少し難しい英語翻訳の業務ができたときのことだ。
妻は留学経験もあり英語に堪能なので、
その時「ちょっと手伝ってくれないか」と妻に行っ言った。
その時妻は、なんと言ったか
「見合うお金をくれるんだったら、やってあげる」

「・・・・」

言葉が出なかった。これは「手伝う」ということなのだろうか。

その後も、幼稚園の行事が忙しいという理由で妻は一切仕事をしようとしたかった。
にもかかわらず、自己破産で「生き残った」クレジットカードで買い物はしまくる状態だった。

その上、僕の両親が訪ねてきたときに援助してもらっている「家賃代」を妻に私の母親が
手渡した。

僕の両親が帰った後、僕は言われた。

「私に家賃代を渡すことでいかにも(助けてあげてる)という態度が気に入らない。
あなたが病気になったのだから(支援して当たり前のこと)でしょう」
といってその後、私の両親に対して侮辱に近い言葉を言い放った。

僕はとりあえず我慢した。「許すことは強さの証だ」というマハトマガンジーの言葉を頭の中で唱えながら・・

妻は、文学部出身でした。昔はシェークスピアなどの本を引用して人間の本質というものを僕に語っていた。もともと理系だった。文学的なことは知らなかったので、ぼくはそんな妻に感心していた。
ある意味「尊敬」もしていた。
しかしそれは、一気に崩れ去ってしまった。
それからというもの、僕は悔しさバネにもう一度右手だけで自分にできることを必死で考え、
自己破産時に、資産売却として売り払った自動車の代金を息子の名前で別口座を作り、事業資金にして
動き始めた。それこそ全くゼロからだった。
幸い友人の計らいで、レンタルサーバーだけは残っていた。それで作ったのが日本のエンジニアリング技術を世界に紹介するサイト「MY-JAPAN」だ。
そして僕はこれを事業化しようと、インターネットと友人へのアピールを通して動いた。
そしてここにきてやっと友人たちの助けもあり、NPO法人の無償譲渡というところまでこぎつけた。
僕はこの事業で「お金儲け」をしたいとは考えていない。

ほんの少しでも社会の役に立つことができればそれで良い。

最低限自分の生活が成り立つ収入さえ得ることができればそれで良いと思っている。

そんな僕の「志」であるのだ。

ところがだ。

妻にNPO法人の無償譲渡の話をした途端、妻はなんと言ったか

「その仕事儲かるの?頑張って稼いでや」

だった。

「・・・・」

その妻は今もなんの仕事もしていない。

それでいて「生活保護は受けられないの」という質問が来る。

生活保護は仕事がしたくてもできない人に対して支給されるものだ。


知り合いの同い年くらいの障害者の奥さんは、家計を助けるために、夜中の2時まで毎日必死でラーメン屋でパートで仕事をしているそうだ。

それに引き換え、自分の妻を振り返ると・・言葉が出ない。

昔、結婚当初妻が僕に言った言葉を今でも覚えている。
何かのことで夫婦喧嘩をしたときのことだ

「私があなたを裏切ると思う?いざというとき私を助けるよ」
その時も文学の話を持ち出して、「人間論」のようなことを語っていた。

しかしその「いざというとき」妻は、障害を負って、その障害を受け入れきれずに苦しんでいる分でまだ食事も作れず、自立出来ていない夫である自分をを放置して「疲れた」といって実家に帰ってしまった。
論語読みの論語知らずという言葉で、妻と重ねあわせてしまった。

格好の言うことを言うに限ってイザという時に逃げる。。
葉隠武士道の言うとおりだ。


平常は「何も言わない」人の方がイザという時に本当に、人を助けることもできる人なのだろう。

この「事件」のことは一生忘れないだろう。そして一生妻に感謝する事はないだろう

最も支えて欲しかった時期に逃げられてしまった・・のだから・・
今の自分は自分一人で這い上がって来たんだ。

こういう家族の危機が訪れるときにこそ家族は一致団結すると言われるが実際はそうではなかった。


自分の生き恥をさらすような記事でしたが、少なくとも家族の誰にも頼ることなく、全くのゼロからここまで事業を立ち上げてきた自分に対しては誇りに思う。少しくらい自分で自分を褒めても良いだろう。必死でがんばってきたつもりだ。正直、いつ死んでも後悔はない。
唯一妻に隠れながら支援してくれた老いた私の両親と実弟には感謝している。


こんな恥さらしな記事は書くべきではなかったのだろうと今少し後悔している。
論語読みの論語知らず」にはならないように心掛けたいと思っているのに・・こんな最低の愚痴を書いてしまった。

最も支えて欲しかった時期に逃げられてしまった・・



こんな心の闇は、死ぬまで心の奥の海底にコンクリート詰めにしておこう。