なぜ僕は日本のモノづくり中小零細企業を支援しようと思ったのか

僕は今、日本の優秀なモノづくり中小零細企業をインターネットで世界に紹介することによって、
現在疲弊してしまっているモノづくり中小零細企業の新たな販路開拓と売上拡大のための支援という
大それた事を実行しようと考えています。

僕がなぜこのようなことをしようと思い立ったのかその理由は、現在尖閣諸島問題が持ち上がっている中で
突如として出てきている自称「保守」を名乗る「にわか保守」の言っているような「愛国心」からではない。
もちろん日本のこと大好きです。日本経済を立て直すための役に立ちたいという気持ちがあることは否定しません。しかしそれよりも僕の志の根底には下請零細企業の悲哀を何とかしてあげたいという気持ちがあるのです。

それはもう20年以上さかのぼりますが、私がまだ10代の頃(はっきりは覚えていませんが中学生・高校生の頃だったと思います)私の父の辛そうな背中を見たことが原点になっているような気がしています。
そして、自分自身が下請零細企業の経営者であったことは大きな要因になっています。

私の父は私の実家の奈良で小さな縫製工場を営んでいました。
私は幼い頃から、その工場に連れて行かれ、よく手伝いをしていました。
そしてミシンの音と元に育ちました。

縫製工場と言うのは実に地道な仕事です。親企業から請け負う仕事の工賃は1枚10数円からせいぜい数十円なのです。昔、Tシャツ1枚を縫う工賃が1枚10円だと聞かされて、子供ながらに驚いたこと覚えています。

そして、いつだったか覚えていませんが父が母と大喧嘩になっていました。
その理由は納品した製品の返品理由が原因でした。
母「なんでこんな理不尽な返品を受けてくるの!」
父「そうは言ってもことは断るわけにはいかない。次から仕事をもらえない」
といった内容だった。

よくよく聞いてみると、納品したニットシャツを入れた袋(よく、衣服店でワイシャツが入れてあるような透明の袋)に1ミリ台の小さな埃が入っているというのは返品の理由だった。

親企業は、下請け企業がいくら指示書通りに製品を作り納品しても、それの売れ行きが悪ければ、なんだかんだと難癖をつけて、返品をしてくるのだ。
ほかにも「目飛び」と言って、縫い目が一つ飛んでいる縫製ミスを追求してくることもある。
「目飛び」など目を凝らして見なければ見えないような小さなものである。

僕も子供頃に子供ながらに理不尽だと思った。
こんな小さな埃が売れない原因になどなるはずがない。

売れない原因は親会社の製品企画やデザイン、更には販売戦略の問題ではないか。

こんな小さな「目飛び」が乗れない原因になるはずがない。
確かに「目飛び」が頻発すると縫い目がほころび易くなることには違いない。しかし1着の服の1、2カ所に「目飛び」があったとしても大きな問題にはならない。それを「売れない理由」にして返品して再縫製させるのだ。
再縫製とはとんでもなく労力がかかる。一度乗っ縫った縫い目を一つ一つ手作業でハサミで生地を切らないように切り解いていかなければならないのだ。そしてそれからやっと再度縫製ができるのだ。
とんでもない手間である。当初の工賃など吹っ飛んでしまう。完全に赤字なのだ。
縫製業に限らず下請け工場というのは多かれ少なかれこういった親企業からの無理な注文を受け入れざるを得ないのだ。「じゃあ次からこちらへは仕事は回さない」と言われてしまうと、その時は赤字でも無理を聞かざる得ないのだ。
この出来事は思春期の僕にいつの間にか大きな影響を与えていたようだ。

そして自分・・
僕は2003年 とあるIT企業に勤めていて、独立してその企業の下請けIT企業として小さいながら
会社を設立した。

無理をした。。

能力がないにもかかわらず身の丈に合わない仕事を請け負っていた。
親企業の社長から「岡下くん、この仕事、この納期やる?」と言われるとかなり難しいなあと感じていても
なかなか「できない」とは言えないものである。できないというと売上がその瞬間消えることを意味する。

そんな明らかに身の丈(納期も品質も)を超えた仕事を受け続けていた。

だから当然オーバーフロー状態が続くので、どうしてミス【バグ】が出てしまう。
バグが出ると当然責められる。
当然のことながらこのままではいつか自分が潰れてしまうと自分でも感じていた。
下請けではなく何らかの形で「自主独立」しなければいけない・・と

そして作ったが下記のサイトによる日本の伝統工芸品の海外向けネット販売事業である。

http://www.jidai.jp/

(現在このサイトは私が脳出血で倒れ、事業を廃業した時点で、倒れるまえいっしょに頑張ってくれた仲間の下請けIT企業に無償譲渡し、私は運営していないですが今でも稼働しています。そして今ではGOOGLE検索で「Japanese Sword」というメジャーキーワードでトップに表示されるまでになっている。有料広告にも負けていない。このことは僕にとって唯一の誇りでもある。世界の日本刀マニアや日本の武士道マニアには有名になっているらしい)

しかし、そんなに簡単に売り上げが稼ぐわけでもなく、売り上げが低迷していた。

そして新たに親企業から大きな受託開発の仕事を請け負ってしまった。

正直言って、「これは難しい」と感じた。

親企業が受注した先の取引先は日本でも超大手の超巨大IT企業だ。
彼らは非常に難しい要求してくる。できないとはなかなか言わせない。

机上の論理で「こうすればできるはずでしょう」と攻めてくる。
僕にいわせれば「観念論」だが、それが「正論」であるから厄介である。

たとえば、アインシュタイン一般相対性理論は明らかに「観念論」である。
光の速度が絶対であると言うのはアインシュタインが頭の中だけで考えた「観念論」である。
そしてその観念論は非常に論理的であり、筋が通っている。
たとえば一般相対性理論によると論理的にはタイムマシンを作ることが可能だ。
しかし現実的には不可能である。
「観念上可能なもの」が必ずしも現実の世界で可能であるとは限らない。
有名なE=mc2という理論をベースに現実の原子爆弾が作られるという例もあるが、
多くの場合「観念論」の段階では現実化することが非常に難しい場合が多い。
親企業からこういった「観念論」の「正論」って言われると、
「言っていることは分かるけど。じゃあ本当に実現可能かお前がやってみろよ」
とは言えないのである。これが下請け企業の悲しい現実です。

この記事・・万が一昔の親企業の人たちが読んでいたらなんだかイヤだなぁ・・・^_^;
HNが実名だからすぐにわかっちゃうし・・

その時僕は無理した。ムリをし続けた。ムリをし続けたからバグも多発した。
だから責められる。責められ続けた。
だからと言って断ったことあるわけにはいかない。サラリーマンではない。
断ると完全に収入が途絶えてしまうからだ。
意地でもやり通すしかない。
当然ストレスが溜まり続けたと思う(今思えば・・だが)
そして血圧はぐんぐん高くなっていった。そんな折りにリーマンショックが襲った。
自主独立のために営んでいた上記に紹介した、伝統工芸品のアメリカ向けの売り上げが
リーマンショックの翌月から五分の1にまで落ちてしまった。
目の前が真っ暗になりそうだった。このサイトの事業コンセプトを気に入ってくれた金融機関が
かなりの融資をしていてくれていた。その返済が難しくなるのは火を見るより明らかだった。
焦りに焦った。血圧はさらに上がった、気になっていた。上が180近くまでになっていた。
かと言って病院に行く余裕さえなかった。
そんな矢先だった
親企業から受けた受託プログラムにバグが発生し大きなクレームになった。
僕はそのクレームのメールを読んだ瞬間に、カっと頭に血が上り脳出血を起こしてしまった。
生死の境をさまよい、あとはこの通り障害者になってしまった。

こんな経験から、下請け零細企業に対する大企業の対応に対してトラウマがどこかにあるのだろう。
親企業のムリを聞きながらまじめに一生懸命頑張っている下請け零細企業にこそ華を咲かせほしい。
彼らこそ日本の縁の下の力持ちである。彼らこそ日本の根底で日本の技術をを支えているのである。

だからこそ、自主独立(この厳しい道ではありますが)してほしい。
ギャランティのために大手商社を通さざる得ず、その結果努力に見合わない微々たる利益で
身を粉にして、命をそぎ落としながら必死に働なければならない状況の中小零細企業の役に
ほんの少しでも良いから立ちたい。そんな思いが僕の中にはあるのです。
しかし、実際に進めてみようとすると、難しい問題が山積していることに気がつき始めています
でも、こんな体でも決して諦めずにやり遂げていきたいと思っています。

思っていることを気ままに吐き出してしまったので、支離滅裂な文章になってしまいました
長文にもかかわらず理解不能の文章になっていましたら読んでしまった方、ごめんなさいm(__)m