同じ志を持つ人間同志の憎しみ合い

同じ志や、同じ価値観を持っていても憎しみ合いが起こる

人間関係とは難しいものだと思います。
同じ志や、同じ価値観を持っていても憎しみ合いが起こる時が多くあります。

お互い同じ信念や同じ価値観を持って共同作業をしていても、なぜか反目しあい、あげくの果てに強い憎しみ合いにまで発展してしまうことがよくあります。
僕もこれまで企業経営をしていて、何度かそういう場面を見てきました。

みな同じ目標を持っているにもかかわらず、そしてその目標に向かっていっしょに行動しているにもかかわらずちょっとしたすれちがい、たとえば目標を達成するための方法論の違いなどで対立し、それが感情的な対立にまで発展し、最後には憎しみ合いにまで発展してしまうのです。
これは悲しいことだと思います。
なぜこんなことができるのだろうか。
それはお互いがお互いの心の内を理解できていないところから発生するのではないだろうかと思います

人間が100人いれば「100人それぞれの正義」がそこにはあるからだと思います。
60億人いれば60億人の正義があるわけです。


そしてその対立や憎しみ合いの原因は、「誤解を恐れず議論をしない」からだと思います。

特に日本人は、一度憎しみ合いになってしまうと、他の民族よりもエスカレートしてしまう傾向にあると思います。その理由は日本人は多往々にして「暗黙の了解」や「以心伝心」を求めてしまうからだと思うのです。

相手が自分の考えと違う行動したとき、そのことがかえって「信じていたのに・・」という怨恨の気持ちを起こさせてしまうのだと思います。

世界を見渡しても同じようなことが言えると思いす。

世界の60億の人間、誰一人として戦争を好む人はないと思います。
すべての人が「平和」を望んでいるはずだと思います。

現在対立している中国でさえ、決して戦争を好んでいるわけではなく、好んで弾圧をやっているわけではないと思うのです。「平和な世界」に進むためのプロセスの考え方の違いにすぎないのではないかと考えています。

このような無用な対立を避けるためには、お互いに正々堂々と自分の主張を行い「議論」をするしかないと思います。

インターネット等の普及により、好むと好まざるとにかかわらずグローバル化がどんどん進む世の中で
疑いが正々堂々と自分の主張をアピールし、徹底的に議論を行うことによって相互理解を深めていくことが今後より大切なことになっていく思います。

人間が100人いれば「100人それぞれのの正義」がそこにはあるのです
60億人いれば60億人の正義があるわけです。


その意味で、アメリカで発達した「ディベート」という議論の方法は素晴らしいと思います。






ディベートの基本的ルール】

1.非礼行為は慎まなければならない

仮に議論が感情的になったとしても、ディベータは非礼行為を厳に慎まなければなりません。目に余る場合は、ジャッジにより注意が与えられます。相手の人格を否定してはならない.
議論に慣れていない人は人はこの部分を無視してしまいがちです
「そんなことも分からないのか」とか
「バカじゃないの」とか、「勉強不足だ」とか、「努力不足だ」とかいう相手の人格を否定するような発言です
これはテレビの討論番組の中でもよく見かけます。
これをやってしまうと、人間である以上人情として気分を害してしまい、議論になりません。

それと単なる反論であるにもかかわらず、それを自分の人格を否定されたと勘違いする人も多くいます。
これも困ったものです。

2.主張をジャッジに伝えなければならない
ディベーターは自らの主張をジャッジに伝える義務を負います。ジャッジが、ディベーターの主張を聞き取れない、聞こえない場合、その責任はディベーターにあり、その主張は述べられなかったものとジャッジされます。

3.時間を守らなければならない
ディベーターは与えられた時間を厳しく守らなければなりません。ただし、話している途中に時間が来た場合は、話している途中の文は最後まで言い切ってよいのが普通です。 それを越えて話した内容はジャッジによって無視されます。

4.主張には根拠がなければならない
ディベーターは、すべての論点において、根拠を伴って主張しなければなりません。ディベーターが、根拠を伴わない主張をしたときは、ジャッジはその主張が述べられなかったものと判断することがあります。
相手の主張に反論しなければならない
ディベーターは、相手側が述べた主張に対し、何らかの反論しなければなりません。反論がない場合は、ジャッジはそのディベーターが相手の主張を認めたものと判断します。ただし、本ルールより、『主張には根拠がなければならない』のルールが優先します。(根拠なき主張には反論しなくても認めたものと見なさない)

5..反論は主張の直後になされなければならない
ディベーターは相手の主張に対して、可能な限り早い段階で反論しなければなりません。これは、反論の機会の均等化を図り、公平性を維持するためと、論点をより深くまで議論するためです。具体的には反論の機会は以下に示すようになります。
 
肯定側立論 否定側立論もしくは 否定側第一反駁
否定側立論 肯定側第一反駁
否定側第一反駁 肯定側第一反駁
 
上記の機会を逸した場合、第二反駁で反論しても、ジャッジはその主張は述べられなかったものとして判断します。ただし本ルールより、『主張には根拠がなければならない』のルールが優先します。(根拠なき主張には反論しなくても良い)

6. 証拠資料は第三者が入手可能なこと
証拠資料は引用する当事者以外の第三者が入手可能なものでなければなりません。具体的には公刊された出版物です。当事者独自の調査や時間とともに入手できなくなる可能性のあるものは証拠資料としては認められません。
7.証拠資料は要件を満たすこと
証拠資料引用の際には、著者名,著者の肩書,文献名,発行年月日を述べ、原文のまま引用しなければなりません。これを満たさない場合は、その証拠資料がそれだけ信憑性の低いものと判断されます。
証拠を捏造してはならない
ディベータは証拠の捏造や改変をしてはなりません。証拠は原文のまま引用しなければなりません。
相手の議論を意図的に曲解してはならない
ディベーターは相手の議論を、自己の有利なように意図的に曲解してはなりません。このようなことが認められた場合、ジャッジは曲解した側の議論を無視します。
8.反駁で新しい議論を持ち出してはならない
論点と論拠はすべて、立論の中で出し尽くされていなければなりません。これは、反駁の機会を均等に与えるためです。反駁に入ってから、新しい議論が出てきた場合、ジャッジはその議論を無視します。
9. プランは論題を充当していること
肯定側のプランは、論題を充当していなければならず、その範囲を超えるものであってはなりません。プランが論題を充当していない場合は、肯定側の負けになります。

10. 主体がプランを本当に実行するかを証明する必要はない
肯定側は、プランを実行すべきかを証明すれば良く、そのプランを主体が本当に実行に移すかを証明する必要はありません。プランを主体が実行するかどうかが議論された場合は、ジャッジはその議論を無視します。

11.反対尋問の内容は反駁で反映すること
反対尋問で明らかにした内容は、反駁で反映させなければなりません。反対尋問がいかに優れていても、反駁でそのことを反映していなければ、判定の対象とはなりません。

12.メリット/デメリットには発生過程と重要性を述べること
メリット/デメリットを述べる際には、発生過程と重要性を述べなくてはなりません。発生過程が明確に示されていない場合は、根拠がないのと同等に判断され、たとえ反論がなくてもそのメリット/デメリットは成立しないと判断されます。また、重要性が述べられていない場合は、その重要性がきわめて低いと見なされることがあります。ただし、一般常識でジャッジが判断できる場合はこの限りではありません。

13. 否定側にはアピールする権利がある
ディベート終了後、否定側には肯定側第2反駁について、ルール違反や事実誤認に関してアピールすることができます

以上が基本的なディベートのルールです。見事なルールだと思います。

多民族国家アメリカだからこそできたルールだと思います。


アメリカのハーバード大学ディベートの授業を見たことがあるでしょうか。
本当に素晴らしいです。感動しました。
NHKの番組でやっていました。見たことない人は是非みてほしい番組だと思っています。

下記法NHKオンデマンドで今でも見ることができます。1980円とちょっと高いですが・・
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2010600391PA000/

だからと言ってアメリカをすべてすばらしいと言うつもりはありません。
日本独特の「暗黙の了解」とか「あ・うんの呼吸」というものも素晴らしい文化だと思います。
しかし残念ながら、これは単一民族国家である日本でしか通用しないものです。
最近では、価値観が多様化しているため日本でも「暗黙の了解」とか「あ・うんの呼吸」というのは難しい状況になってきていると思います。
そしてこの「暗黙の了解」とか「あ・うんの呼吸」と言うのは、うまくいけば強力な信頼関係につながる半面、
失敗すると逆に大きな反目関係になってしまう危険があると思います。
「信じていたのに・・」という心境による不必要な怨恨の気持ちです。

「信じていたのに」と言うのは、自分勝手な憶測にすぎないのです。
相手を「信じるか信じないか」については相手と言葉で議論もせずに解る訳が無いからです。


しかし、そこまで議論しても人間と言うのは難しいもので、感情的な諍い消えないことが多々あります。
本当に人間の心や感情というものは難しいものだと思います。

人間には人の顔の表情を言うだけで相手の感情が推測できるというすばらしい能力もあります。

本日行われた、日米首脳会談での、菅総理胡錦濤国家主席との握手の時の、笑顔は明らかに両者ともこわばっており、誰が見ても本当に心が笑っているとは思わなかったでしょう。
これはコンピューターには判断できない人間だけが持つ素晴らしい能力です。

徹底的な議論を尽くした上で、この素晴らしい能力を使い、お互いの心情的理解進めることができれば、
良いのだろう・・
難しいな人間という生き物は・・

それでも少しでも価値観を共有できるようにするために僕は自分をアピールすることに努力しようと思っていますそして、誤解を恐れず議論を尽くすことに努力したいと思っています。