他人のために一生懸命になれるか

世の中、一生懸命になれる人とそうでない人がいる。
本当に身を粉にして他人のために頑張れる人がいる。命さえ惜しまない人がいる。
命を捧げるというところまで行かなくても、他人のために頑張れる人を見ると感動する。

なぜ、そういう人は他人のためにそこまでがんばれるのだろうか。

おそらく、他人の痛みを自分の痛みとして捉えることができる人なのだろう。

それは「サービス」につながると思う。

レストランなどでも接客の訓練を受けている人がたくさんいる。

でも、全く同じようにサービスをしているにもかかわらず、「まごころ」のようなものが
感じられない人が時々いる。そういう人を見ると「マニュアル通りにやっているなあ」としか
思えない。感謝の気持ちにはなりにくい。
笑顔一つでも、作り笑顔が本当の笑顔が、瞬時に分かってしまうものだ。

たとえば、写真を撮ってもらう時に「はい、笑ってください」と言われてもそう簡単に笑うことができるものではない。たとえ笑ったとしても、明らかに不自然になる。

最近、笑顔を感知するカメラまで出ているが、
それでも作り笑顔と本当の笑顔の微妙な違いは判定できないようだ。
そう考えると人間の脳というのはすごい能力を持っていると感じる。
たぶんコンピューターも他人のために一生懸命になれる人に感動することはないないだろう。
人間は感動すると行動まで変わる。
これが人間たるゆえんだ。

機械は論理で動くが、人は「熱(熱意)」で動くと思う。
これはとても大切なことだ。

僕は20年ほど前、あるコンサルティング会社に勤めていた。
その時に人は「熱(熱意)」で動くのだと痛感させられたことがある。
これは僕にとって、とても苦い思い出です。


そのころ僕は、コンサルティングの理論を学び、経営戦略や経営管理に関する勉強をして、それなりに経営に関する式は持っていた。

ある日、ある中小企業の社長さんに経営戦略案を持っていった。
僕はコンサルティング契約を取りたい一心で、一生懸命その経営戦略の妥当性について説明をした。

完璧な説明ができたと思った。契約が取れると思った。

しかし、契約が取れなかった。僕はその時の社長の言葉が今でも忘れられない。

「岡下さん、あなたの言うことは理解できました。あなたの言うことは正しいと思います。
でも私はやりたくない。それだけだ」

と言われた。

何がなんだかわからなかった。
後から先輩のコンサルタントに言われた。
「岡下君は本当に社長のためを思って提案をしましたか? 自分の契約を取りたいためだったものではないですか?」

そう言われハっとした。

そうだ!そう言われれば僕は契約を取りたい一心だった。社長の気持ちなど考えている余裕はなかった。「いかに自分の戦略案が正しいか」をアピールするのに一生懸命だった。

一生懸命には違いなかったが、それは相手のためではなかった。自分のためだった。

それが社長さんに伝わったのだろう「この人は私のことを真剣に考えて一生懸命になっているのではない。契約を取りたいために一生懸命になっているだけだ」と感じていたのだろう。

今になって、この歳になって、そのことがやっと理解できてきた。

僕は、社長の痛みを自分の痛みとして感じることができなかったのだろう。

それは、僕自身が社長業をやってはじめて理解できたことだ。
多分、他人の痛みを自分の痛みとして感じることができるためには、究極的にはその他人と同じ経験をしなければならないのだろう。

「心情的理解」と難しいものだ。人は自分の心情的理解をしてくれる人の言うことは聞く耳を持つ。
たとえば、同じ学歴を持つ人間同士が仲間になりやすいのはそういうことだろう。
ある人から「心情的理解」を示すためにはどうしたら良いのか教えてもらったことがある。

それは「極意」だと思った。

その極意とは「相手の心情(苦しみやつらさや想い)」を相手が表現する以上の表現で相手に表現できようにすることだ。

つまり相手に「そうなんです、私の言いたかったことは正にそのことなんです!」と言わせることができれば相手は自分の言うことを聞くようになる。
その通りだと思った。僕も障害を負ってから医者に「大変でしょう」などという言葉を何度言われても心に響かない。なぜならこの人(医者)は僕の本当の辛さを理解できていないと感じるからだ。
だからそんな医者がどんな指導をしようとも、聞く耳を持つことができない。
まだ「私にはあなたの本当の辛さはわからない、でも頑張るしかないんだよ」と言ってくれた方が
うれしい。言うことを聞けるものだ。

突然話は飛ぶが、中国と日本の関係も同じようなものだと思う。
日本人も中国人も本当の相手の立場を理解できていないから、、お互いに聞く耳を持つわけがない。
日本人がいくら、昔のカミカゼ特攻隊の気持ちや、靖国神社に眠る英霊のことを主張しても、
理解してもらえるわけがない。
まずは、相手を理解してあげる、つまり心情的理解をすることから始めなければ何も進まないような気がする。パレスチナ問題のような民族対立の問題でも同じだと思う。

人間とはなぜこんなに難しいのだろう。

相手を思いやる。。簡単なことなんだけど、これほど難しいものはないと思う。

だから安易に「そのあなたの気持ちはよく分かります」というようこは言わないようにしている。
「お前なんか俺の気持ちがわかってたまるか」と心のなかで思われるだけだろうから・・