過剰なノルマ

全体の記事のコメントに過剰なノルマ残業によりノイローゼになり自殺する人がいるというコメントがありましたので、そのことについて書いてみたいと思います。
私が書いたプロ意識というのはあくまでも、「貢献」に対する「正当な対価」を報酬としてもらっているのであれば、サービス残業などと文句を言わずに、徹夜してでも業務を完遂することが当たり前だ。
ということを言いたかったのです。

「ノルマ」この言葉はあまり良いイメージの言葉ではありません。

 そこでちょっと調べてみウィキペディアに下記のように書かれていました。


ノルマ(ロシア語:Норма, norma)とは半強制的に与えられた労働の基準量であり、大抵の場合時間的強制も付加される。

また
会社の売上を一定以上確保する、特定の日までに一定量を製造・生産する、競合他社との競争に勝つ、などといった目的を達成するために、経営者などが労働者にノルマを課す。労働者にノルマを達成させる意欲を高めさせるために、労働者に対しノルマ達成の褒美(報奨金、昇進、昇給、海外旅行など高額商品の授与)を用意したり、未達成の場合はペナルティ(解雇、減給、左遷、暴力・暴言など)を与える場合もある

とも書かれています。

つまりノルマとは組織の目標を達成するために与えられた半強制的な労働の基準量であるので、一個人の目標を達成するために必要な労働の基準量と乖離する場合が多いと思う。そしてそしてそれは組織が大きくなればなるほどバイアスがかかり、組織の下層になればなるほど、与えられたノルマに見合う報酬をもらえている時間が少なくなると思う。

目標・夢・希望  

これらは自らが作るものであり、他人から与えられるではないと思う

他人から自分が望んでもいない「高い要求水準」を与えられ、それを達成するための「ノルマ」を与えられたがたまったものではない。

その意味では経営者というのは、自ら目標を作りそれに向かって努力するだからそこにバイアスはそんなにかかることは少ない。だから自分の目標・夢・希望に向かう為なので、努力を惜しまない。

しかし従業員となるとどうもそうはいかない。

何故そうなってしまうのだろうか

考えてみた。

多分それは間接部門のあるい自部門以外の目標のために仕事をしなければならないことがでてくるためではないだろうか。


たとえば直接部門である「営業」の売り上げから、間接部門の人件費を支払いさらに収益はのの残さなければならない。だから直接部門である「営業」部門に与えられた目標「ノルマ」はどうしても
その営業マンへの報酬に対して高くなってしまわざるを得ないのだろう。
組織の目標を達成するためどうしても「半強制的」になってしまうのだろう。
その点経営者の場合「半強制的」ノルマといえるものは全くないのかというとそうではない。
たとえば銀行から借入れした借金の返済である。
これほど辛いものはない。少しでも経営者を経験したことのある人なら分かると思うが、
毎月通帳から何の仕入れもしていない、何の対価もないのに、月々の返済金額が引かれていくのである。これは過剰な借り入れをしてしまうことがいちばんの問題である。
金融機関側にも問題はある。企業の実態を十分に把握せずに、貸し出しをしようとすることがよくある
これはいけない。特に長期資金の借り入れが最も危険だ。
長期借り入れとは長期計画をベースに資金を借り入れるのだが、実際には毎月の返済時に見合う売り上げや収益が上がるわけではない。長期的な「予測」をベースに借り入れをして返済をしているわけなので、予測通りに売り上げや収益が上がってないと、一気に収支バランスが崩れ始める。
そうなると経営者の精神的ストレスは大変なものになる。
いわゆる「過剰なノルマ」と感じ始める。そしてだんだんキャッシュフローが見えなくなりはじめ、
手元資金が使える資金なのか使えない資金なのか分からなくなってしまい、気がつくと
資金不足に陥っている。これが最悪の状態だ。

だからこれから起業しようとしている人達に経営者としての経験からの助言としては銀行からの借り入れは短期資金の借り入れをうまく活用することをしなさいと言いたい。

つまり、明確な売上計上が見えている活動に対して必要な資金をその売上が計上されるまでの間、
短期的に借り入れるのだ。たとえば大手の会社の下請けなどをすると入金サイトがながくなる場合がよくある。仕事は請け負ったが、納品は3カ月先、6カ月先、つまり入金も3カ月先、6カ月先になるのだ。その間に必要な資金を端的に借り入れ、入金が会った際に返済するという借り入れの方法である。
たとえばその請け負った仕事の粗利益が20%であるなら、銀行からの借り入れは極端な話10%でも
よいのである。
しかし、いくら低金利だからと言ってと思い必要のない多額な何千万もの長期借り入れをするするのは
絶対にいけない。こうしてしまうと年月が経過するほど、預金残高に残っているお金が使ってよいものか使ってはいけないのか。分からなくなってしまうことが多いからだ。
これによって、本来返済に充てなければならない使ってはいけない預金を使ってしまい、
どこかで返済不能状態に陥ってしまい、不良債権化する場合が非常に多いと思う。


なんだか話が大きくそれてしまったが、それでも経営者の場合は自らが立てた目標に対して借金をし
それを返済するなどの自分に課しているわけだから(もちろんプレッシャーではあるが)納得できる場合が多い。

たとえどんな場合であっても課せられた「ノルマ」や「労働」に対して一つのタイプが「見合うもの」
でなければ、異常なストレスを感じるので、これをいかに納得のいく状態に一致させるかということが
重要なことだと思う。一致して尚もサービス残業だの何だのと言って職務放棄をするのは怠慢でしかない。

しかし組織が大きくなればなるほどこの「ノルマ」と対価を一致させるのは非常に難しくなる。
至難の業である。ここで必要になるのが「連帯感」というものではないだろうか。
「組織の目標のために」犠牲を払うという気持ちになれるかどうかではないだろうか。

こんなことを書いていると自分自身が障害によってなんで苦しむのかが理解出来てきたような
気がする。つまり障害を負ったことによって「ノルマ」と対価が一致しなくなっているのだ。
たとえば、私の自宅から最寄りの駅までは約1.2キロある。
健常者の頃であれば歩いて約12、3分の距離であった。

しかし今は駅まで歩くのに杖をつきながら、重たい左足を引きずりながら40分近くかかるのだ。
つまり「40分の努力(ノルマ)」に対する対価「駅に到着する」が全く見合わないのだ。
このあたりはいつも「不満」を持ちながら歩いている(笑)
それでも最近は自分もモチベートできるようになってきた。ある意味、諦観をもつことができるようになった
最近は、駅から自宅に歩いて帰るとき、たかが1.2キロの距離だが、駅前で「よしいくぞ!」と
声を出している。
まるで、高い山に登山にでもいくような気持ちで気合いを入れるようになっている(笑)


今回の記事はものすごく話があちこちに飛んでしまった。何が言いたいのか分からない支離滅裂な文章になってしまっていてあとで読み返してみて笑ってしまった。。