見方を変える

富士山は西からでも昔からでも登れる
西の道が悪ければ、東から登れば良い
道はいくつでもある。
時と場合に応じて、自由自在に道を変えればよいのである。
一つの道に執着すればムリが出る。
ムリを通そうとすれば行き詰まる。動かない山の動かそうとするからである
山はそのままにして、身軽に自分の体を動かせば、そこに新しい道見えてくる。
何事も行き詰まれば、ものの見方を変えてみることである。
特に企業経営においては、執着心は禁物である。
状況に応じて臨機応変に物の見方を変えることが大切である。

人は一つのものの見方にとらわれて、執着してしまいがちであり、他の見方があることを忘れがちである

「見方を変えれば、世界が変わる。敵も見方になる。不幸ともっていたことも幸せに感じる」

下記は有名な「7つの習慣」の本の一節です。

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 ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。
乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んで
いた。すべては落ち着いていて平和な雰囲気であった。 そこに。ひとりの男性が子供たちを連れて車両に
乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。
 しかし、その男性は私の隣に座って目を閉じたまま、周りの状況にまったく気付かない様子だった。
 子供たちといえば、大声を出したり、ものを投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも
騒々しく気に障るものだった。


ところが、隣に座っている男性は、それに対して何もしようとはしなかった。私は苛立ちを覚えずにはいられなかった。
子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。
周りの人たちもいらいらしているように見えた。
私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、
「あなたのお子さんが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」
と言ってみた。
するとまるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかりもの静かな声で

「ああ、ああ本当にそうですね。どうにかしないと……。たった今、病院から出て来たところなんです。一時間ほど
前に妻が・・・・あの子達の母親がなくなったものですから・・・いったいどうすればいいのか・・子供たちも混乱
しているみたいで・・」

その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。
突然、その状況を全く違う目で見るることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、違って行動した。
今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動⇒態度を無理に抑える必要がなくなった。
私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」
 一瞬にしてすべてが変わった。
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僕自身の生き方もいろんな生き方があるのであろう。

健常者であった頃の生き方、物の見方にとらわれてはないだろうか。
昔と同じ今の目標を持って,同じような生き方や生き甲斐求めようなんて
健常者ではないのだから、土台無理な話である。
そんなものを望むからきっと苦しむのである。

僕自身、物の見方や生き方を180度変えてみれば、案外面白く楽しく生きていけるかもしれない。

深刻な顔をする前にちょっと視野を変えてみると良いのかも知れない。



面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり・・・高杉晋作