思い悩む(心を透明に)

人間は神様ではないのですから何もかも見通しで何もかもが思いのままで、悩みもなければ
憂いもない、そんな具合には行かないものである。
悩みもすれば憂いもする。迷いもする。

わからん、わからん、わからん、

どうにも判断の付かん、どうにも決心が付かん。
そんなことが日常の中で、しばしば起こってくる。

囲碁ならば、わからんままに石打っても、別に人に迷惑をかけるわけではないけれど、
人と人とが互いに密接に繋がったこの世の中で、わからん、わからんと思い悩んだままで仕事を進めたらとんでもない迷惑を人にかけてしまう。
分からなければ、人に聞くことが大切であると思う。
自分の殻に閉じこもらないで、心を透明にして、素直に謙虚に人の教えに耳を傾けることが大切である。
それがどんな意見であっても、求めるもの「志」があれば、おのずから得るものがあるはずであると思う。
疑いに思い悩み、迷い憂えることを恥ずかしく思ったりするよりも、いつまでも己の方に閉じこもり、人の教えを乞わないことを恥じなければならないと思う。

人の意見を聞くためには、できるだけ心を透明にして、自分の色の付いたフィルターを通さず、素直に謙虚に耳を傾けると、ヒントが見つかるはずであると思う。
人はどうしても、自らの思い入れやこだわりなどの自我(妙なプライドのようなもの)が邪魔をして、
人の意見を素直に聞き入れられないことが多い。
私自身も私の意見に反対意見があると、どうしても自分の感情が邪魔して素直に受け入れられないとき多々ある。

心を透明に・・・自我をなくし・無心で世の中を見て、人の意見に耳を傾けるように心がけたいと思う今日この頃だ。


人はなぜこんなに「迷い」を持ってしまうのであろう。