自分の頭で考えよう

今の時代、情報が溢れかえっている。インターネット、様々なメディアからたくさんの情報が入ってくる
ただその情報は、電波、もしくはインターネット回線を通して入ってくるものであって、情報発信者から自らの五感を通して入ってきたものではない、そこにはコミュニケーションや議論は存在しない活字・音声・映像を通して「一方的に」発信された情報である。だからその情報には発信者の意図が必ず入っている。悪意はないにしても、そのままの「真の情報で」はないことを念頭におくべきだと思う。
悪く言うと歪曲されているのだ。このような情報を鵜呑みにするのは危険だ。

第二次世界大戦で日本の兵士が、日本人があのように悲惨な状態なってしまったの日本人全体の、政治の思考停止の結果ではないかと思う。人間は考えることを止めたら死んだも同然だと思っています。

当時のメディアといえばセイせいぜい新聞くらいものであった。
大本営発表の記事を国民は鵜呑みににし、破滅への道を辿ったのだと思う

ぞれぞれの兵士が私人と公人との葛藤の中で私人を捨て、あくまでも公人として、玉砕することを選んだことには日本人として誇りに思います。戦後生まれで本当の苦しみを想像することもできないが。。
母の実家に帰っときには、母の兄で長男でもあった、戦士した叔父の写真をみていつも思う

なんて済んだ目をしているんだ。。と

叔父が出征時の20歳のとき写真だ。

あのとき日本人全体が思考停止状態に陥ったのであろう。

明治維新無血開城による明治政府の樹立した歴史など日本人にはもっと苦境を乗り切る「知恵」があったはずだと思う。
現在[保守」をかざす知識人?の中には、あの戦争は日本ににとって、アジア開放のための正義の戦争だった、侵略戦争ではなかったという人がいる。

戦争に侵略戦争も正義の戦争もないと思う。戦争は戦争だ。人間が人間を殺すことには何も違いはない
。それぞれの人にはひとりひとりの重い「人生」がある。家族がある、夢がある、それを全て壊してしまうということなのだ。

確かに当時の世界状況は欧米諸国がアジアを植民地化し、アジアの国々を奴隷のように扱い、
日本をもABCD包囲網でエネルギーと断ち、食料を断ち、追い込んでいったのは事実であろう。

あの時代の背景として、こういった状態に追い込まれたとき「戦争」という手段に出るのは欧米でも
「常識」だったと思う
日本もエネルギー食料の確保を中国に活路を求めたことはある意味仕方のないことであったろう。
韓国併合にしても事実は分からないが、当初は日本の政策も正当なものだったのではないだろうか。
その証拠に台湾でも韓国でも日本統治時代が平和だったと証言する人は多いと聞く。

それがおかしくなったのは、太平洋戦争での戦局がおかしくなった頃からではないだろうか。
と僕は考えている。
ミッドウェー海戦での壊滅的な敗北以降の判断がおかしくなっていったように感じる
情報の歪曲「大本運営」の情報操作。いわゆる玉砕思考である。
できる限り被害を少なくして死者を少なくするために「知恵を絞る」ことを怠ってしまったのではないだろうか。「皇国日本のために命を捧げる」という言葉の元に思考停止に陥ったのではないだろうか。
思考停止(考えることを放棄する)は人間でも死んだも同然だと思う
戦争末期ポツダム宣言を無視しアメリカに原爆投下という人類史上最悪の暴挙に出させたのは日本側の政治的思考停止の結果ではなかろうか。

これでは 占有に「靖国で会おう」と日本を近い、家族を、親を、妻を思う、私人を捨て、公人として、散っていった若い見事な英霊にが報われないのではないか

そして今の政治が思考停止に陥っているのではないかという危機感を抱いているのは僕だけだろうか

またインターネットという情報機器が発明され、人類史上なかったほどの情報がが溢れかえっている。
そこにはウソの情報、詐欺的な情報も溢れている

だからこそ自分の頭で考えることがより求められる時代ではないだろうか。

この私も医者の言葉さえも鵜呑みにはしていない、医者の言葉を鵜呑みにすると、脳卒中の後遺症は発症後、6ヶ月を過ぎると一生回復は見込めないということになっしまう。
僕は自分で様々な情報を集め、文献を読みあさり、自分の頭で回復方法を考えるように今現在心がけている。もちろ医師の言葉を無視するわけではない。参考意見として聞く、そして、自分の頭で考えるのだ。

今私には7歳の息子がいる。情報技術が益々発展するこれから時代、息子には、いやこれからの世代の子供たち皆にも「自分で考える」という教育を、訓練をすべきではないだろうか

自分の頭で考えるというのはつらいことでもある。
結果がみえないのだから・・考えているうちに迷路に入ってしまう。考えても考えても先が見えない

しかしそのことが大切なのではないだろか。僕は物事を考えるとに「自然体」を大切にしている

自然の理法である。たとえば「雨が降ったら傘をさす「水は高いところから低いところに流れる」


というような当たり前のことである
また「うまい話勝手にやってこない」
うまい話なら人に話す前に自分でやるであろう。いや隠すであろう。
この自然体。自然の理法に反する話は疑ってかかった方が良い。そこから自分の頭で考えるのだ。。
自然の理法に従って・・