信仰と心の安らぎ

ちなみに僕は魂の存在とか、神の存在を一切(論理的に)信じていない
存在していないと思っている。
最近流行った「スピリチュアル」とか言うものは論外である

科学的根拠があまりにも希薄だからだ。

こう言うと「文系」の人の中には、現代科学しか信用しない「理系教」だというような人が出てくる。
しかしこういう人に限って、科学とは方程式などの数学に依存する。視野の狭い世界だと思い込んでいる人が多い。科学とは論証の世界である。 これは人間社会ににおいても重要なことである。
論証できないものは弾かれる。これは「文系の世界」でも同じはずである。
論証のために数字を使っているだけなのです。
かのコペルニクスも地動説を、数学を使わなくても論証した。

話はそれたが、その意味で、魂の存在とか、神の存在を一切信じていない
これは脳卒中という体験とその後遺症から確信したものだ。
脳=心であり、死は心(魂)の消滅であり、「無」に記することだと思っている。
魂や霊は生きている人間の心(=脳)の中に存在しているものだと思っている
しかし、信仰というものは人間にとって重要なものだと思っている
例えば今日は8月15日だが、先の戦争で亡くなった方の魂が靖国神社に存在すると思う人にとっては
存在するではないだろうか。そして、そういう人々は靖国神社にお参りすることで、その人が自身の心、例えば、自分だけが生き残ってしまったという自責の念から癒されるのであろう。

それはそれで素晴らしいことだ、他国(特に中国)からとやかく言われることではないと個人的には思っている。

信仰と心の安らぎ

魂を信じ、先祖の霊を信じ、先祖の霊に見守ってもらっていると信じることにより、得られる心の安らぎ、これは「希望」にも似たものがあると思う。
信仰心の強い地域に共通することは厳しい自然環境や厳しい生活環境がある
日本では多くの「言い伝え」が残っている東北の遠野(冬の厳しい寒さ)
世界ではエルサレム(砂漠・紛争)インド(飢餓)等々・・

人間ではどうしようもない自然の脅威、死と隣あわせの厳しい環境だからこそ、心の安らぎを求め、神様の御利益を信じる心を芽生えさせ、それが希望を生み出して心安らぎ、生きていく事ができたのではないか
現代の日本人が失いかけているもの。 目に見えないものを信じる心
何か大きな力に生かされているという畏敬の念、神々に感謝する心こそが幸せを呼ぶのではないだろうか

私の脳出血の後遺症は現代医学では基本的にはどうしようもない。脳の可塑性という力があるとは言われているが、まだまだどうやったら、脳の可塑性を発揮でき、麻痺などの後遺症が元に戻るのかは手探り状態であり、基本的には「障害受容」し、このまま生きていかければならないのが現実だ。
こんなとき、魂や神など信じていない私でも、「神様!・・」とおもってしまい、何か目に見えない力に対していつか回復することをお願いしてしまう自分がいます。
そのことによって、絶望がから心の安らぎを得られる。
今の東京のような24時間ネオンの輝いている現代の大都会ではこのような目に見えない「何かの力」を
感ることはできない。
それこそ死=無と感じるので無味乾燥とした、殺伐とした唯物主義にならざる得なく、心がすさんでしまう。最近の自殺者増加もこのようなところに原因があるのではないだろうか。
だから、安易な新興宗教がはびこったり、「スピリチュアルカウンセラー」などという詐欺まがいの連中が<出てくのだと思う。
一時期「スピリチュアル」が流行ったとき、世界からは無宗教の日本であんなにいい加減ながものが流行ることを驚愕の目で見られていたそうだ。本当の「信仰」とは、こんな生易しいものではなく、全く別物だと思う