現在の閉塞感と心と魂と宗教

現在、日本も世界も閉塞あらゆる面で「閉塞感」が漂っている。リーマンシショック以降の出口の見えない経済不況、解決策の見えない地球温暖化や異常気象による災害。。
「閉塞感」とは本当に閉塞しているのではないと思う。
あくまでも「閉塞感」だと僕は思っている。つまり心の問題だと思う。
「希望」と同じだ

「希望」とは世界の状態ではなく心の状態である。 「希望」、この深く力強い感覚は、
物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲など
とはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。
閉塞感も同じく人間の心の問題で、どんな状況であっても人間は「希望」を持つことができるはずだと思う。

希望を持つと意欲がが出る。

意欲があると、良い発想が沸く、

逆にに閉塞していると思う意欲までなくなり、苦境の解決策のアイデアさえ浮かばなくなり、
本当に自身を閉塞状態に陥れてしまうと思う。
ネガティブな思考のスパイラルに陥る危険だ。昨今の日本の日本の自殺者の多さには危機感を感じる。
今の世の中は不確実性に満ちているとよく言われるが、いつの時代も同じだったと思う。
そんな中で未来に希望を持てるのが人間だと思う。日本も終戦の焼け野原の中、明日をも知れぬ不確実性の中で希望を持ち、奇跡のような経済発展を遂げたではないか。
要は心の持ち方次第でどうにでも変わる。
僕は脳卒中の後遺症という体験から
脳=心だと信じるようになっている。
なぜなら、現在も後遺症の中枢性疼痛という難治性の痺れと痛みに苦しんでいるが、それが、感動したり、希望が持てたりすると、和らぐのだ。
逆にストレス感じると痺れでだけでなく、なんと麻痺側の手足が動かなくなるのだ.
つまり心が脳機能を支配してるようなのだ。
こんな体験から魂とか霊とか神などの存在を信じなくなった。
死は脳の死であると同時に心の消滅(魂の消滅)であり、「無」に帰すると考えるようになった。
反面、人間の脳、つまり「心」の能力の無限の可能性を感じている。
根拠のない自信で脳(=心)は自信を持つことができるというすばらしい能力を持っていると思うからだ。世の中、100%確実にうまくいくというものなんてない。

そんな不確実性の中で、人間は「希望」をもつことができるからだ。人間の脳(=心)には無限の可能性がある

ただそこには「希望」を持つことがきる脳(=心)の訓練が必要だと感じている

そして宗教などの存在意義も大きいとも感じています。
魂や神の存在を信じないことと矛盾しているようですが、脳(=心)が希根拠のない自信(希望)でも
自身を持つことができるということから考えると「神のご加護」を信じ、希望を持つことができるということも理にかなっていると思うのである。

ただ、今の日本には心の支えとなる宗教のようなものが見えにくい

これある意味で、よくない状況ではないかと思う。

基本的に無宗教現代日本人がなぜこれほど秩序正しい、道徳観のある社会を形成できたのか外国人は不思議に思うらしい。それほど、海外で宗教の役割は大きいみたいである。
日本が無宗教で混乱が大きな混乱が起きないのは、ひとえに、「武士道」の教えとどの精神によるものが多いと思う。
日本の武士道は決して侍だけのものではなく、江戸時代を通して幅広く日本国民全体に浸透している
「教え」だと思う。これはすごいことだと思う。
ただやはり今の日本にはkのような一本筋の通った心のよりどころとなる「教え」がないようい思う。
最近は
仏教も、新興宗教も、日蓮宗も、禅宗も、臨済宗も、天台宗も、イスラム教も、キリスト教も、モルモン教も、神道も、七福神も、大仏殿も、仁王門、毘沙門天、釈迦如来、仁王、弘法大師鬼子母神、お稲荷さんも、廃仏毀釈も、世の中、町中、宗教ぽいものが溢れ返っている。
 この現象を日本人は、どう理解しているのか。こんなに多くては、何がなんだか、分からない人が多いのではないだろうか。

ちょっと(いわゆる新興宗教など)宗教にのめりこんだ人が、我田引水で、自分の流派に都合のいい解釈で、日本の文化や風土、民俗を傷つけるのではないか、と思ったりする。

学校では、「宗教とは何か」を教えないから、かえってオウム真理教統一教会幸福の科学などの詐欺的な思想に洗脳されてっしまうのです。最近ではスピリチュアルカウンセラーなどという、いい加減な連中に食い込まれる原因になっている。こんなものが流行る日本を世界は奇異の目で見ている。日本で血液型、星座、占いの流行も、この辺に理由がありそうな気がする。