周りに生かされている

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、
いかにいわんや善人をや。
この条、一旦そのいわれあるににたれども、
本願他力の意趣にそむけり。
そのゆえは、自力作善のひとは、
ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。
しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、
真実報土の往生をとぐるなり。

私達がぬくぬくと生きているそのことが、その裏で『殺生』を積み重ね、それに気づかないフリをして生活をしていることはどうなのか。じっくり考えてみたいことではなかろうか。


「他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり」か・・


僕は周りの人たちにのおかげで生かされている。周りの人のおかげで、「生きがい」を頂いている。


親鸞の言うように善行と思っていることでも裏では犠牲になっている人々がいる。

それは気にしながらも、障害者となった今は、この身体でできることで自分の信じる道を希望として生きるのみ


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希望とは世の中の状態のことではなく、心の中のものである。

どんな状況の下においても、価値があると信じ、働き、生き続けることのできる心の状態である

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