相対性理論は人間関係の理論?

あの有名なアインシュタイン相対性理論は実は人間関係のことではないかと思う。

一般相対性理論は時空の相対性というものから光を軸にして、速度の速いものは
時時間がゆっくりと進む(実は相対的に時間がゆっくりと進んでいるように見えるだけだが・・)


ここでこれ以上一般相対性理論のことを書くのは無理があるので、それはまたの機会に・・


ところで人間関係も相対的なもので、例えば「自分が正しい」と思った瞬間に相手は「正しくない」
ということになってしまうのが人間である。

あくまで相対的なものなのだと捉え、捉え方を変えると全く変わってしまうものである。


以前も書きましたが、下記は有名な「7つの習慣」の本の一節です

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 ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。
乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んで
いた。すべては落ち着いていて平和な雰囲気であった。 そこに。ひとりの男性が子供たちを連れて車両に
乗り込んできた。すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。
 しかし、その男性は私の隣に座って目を閉じたまま、周りの状況にまったく気付かない様子だった。
 子供たちといえば、大声を出したり、ものを投げたり、人の新聞まで奪い取ったりするありさまで、なんとも
騒々しく気に障るものだった。


ところが、隣に座っている男性は、それに対して何もしようとはしなかった。私は苛立ちを覚えずにはいられなかった。
子供たちにそういう行動をさせておきながら注意もせず、何の責任もとろうとはしない彼の態度が信じられなかった。
周りの人たちもいらいらしているように見えた。
私は耐えられなくなり、彼に向かって非常に控えめに、
「あなたのお子さんが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのでしょうか」
と言ってみた。
するとまるで初めてその様子に気がついたかのような表情になり、柔らかりもの静かな声で

「ああ、ああ本当にそうですね。どうにかしないと……。たった今、病院から出て来たところなんです。一時間ほど
前に妻が・・・・あの子達の母親がなくなったものですから・・・いったいどうすればいいのか・・子供たちも混乱
しているみたいで・・」

その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。私のパラダイムは一瞬にして転換してしまった。
突然、その状況を全く違う目で見るることができた。違って見えたから違って考え、違って感じ、違って行動した。
今までのいらいらした気持ちは一瞬にして消え去った。自分のとっていた行動⇒態度を無理に抑える必要がなくなった。
私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの感情が自然にあふれ出たのである。
「奥さんが亡くなったのですか。それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか」
 一瞬にしてすべてが変わった。
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敵と見方、正義と悪なんて相対的なもので見方・捉え方ですぐに逆転してしまう。


今日もBSでスターウォーズをやっていたが、この映画は人間には邪悪な心と善の心があり、悲しみ・怒り・憎しみなどで心は「ダークサイド」つまり邪悪な心になってしまうということをテーマにしている
単なる特撮CG映画ではないスケールの大きなテーマの映画だと思う。

しかし、これも物事・事象の捉え方で、どちらが善でどちらが悪なのかわからなくなってしまう。

もっと自分を、あらゆる事象を、客観的に捉えるように努力したいが、残念ながら人間ってそう簡単に
客観的にはなれない。


これは人間本来がが持っている欲(煩悩)のせいなのだろう。

自分が正しいと思うことは脳にとって快感なのではないかと思う。

煩悩をなくすって難しいな・・涅槃の境地か・・そうなれたら楽だろうに・・

障害者になってしまった私も

こうなってしまったことを誰かのせいにしたいという自分が心のどこかにいる