中枢性疼痛・・それでも私は生きている。

末梢性の痛みに比べて頻度は低いのだが、より苦痛を伴い、難治性で厄介なのが中枢性の痛みである。去年6月ごろから、私はこの中枢性疼痛に始終悩まされている。これは脳卒中の病変が直接の原因となって痛みをきたすもので、視床出血や視床梗塞による視床痛のほかに、大脳の出血や梗塞による中枢性疼痛、脳幹病変による中枢性疼痛なども知られている。
痛みを感じとるセンサーは体中至る所に張り巡らされていて、その信号は末梢の感覚神経のケーブルを通り、脊髄を経由して脳の視床というところで情報処理され、最後に大脳皮質の感覚中枢で痛みとして感じられると考えられているのは周知の事である。普通の痛み、すなわち末梢性の痛みは痛みセンサーの刺激で生じるのだが、中枢性の痛みの場合は、手足の末梢には痛み刺激が加わらないのに、視床や大脳の感覚神経の情報処理の異常のために、いわば「脳の中で」痛みを感じてしまうわけだ。だから安心していていいのは、例え痛みが強くても、この痛みが原因で脳卒中の再発を心配する必要はないということだ。
痛みは、脳卒中の発症直後から起こることもあるが、多くは何ヶ月かしてから始まる。半身、特に手足のうずくような耐え難い痛みで、痺れを伴うこともしばしばある。然るに私の場合は、痛みに絶えず痺れを伴っているのは確かである。
気分、天候(曇天、降雨の前にひどくなる)、気温(寒冷で悪化)、更に日本特有の湿気の影響を受けやすく、刺激でひどくなるのを防ぐ為にはどうしたらいいのか悩んでいる。


鶴見和子さんが「恥も外聞もなく罵声を発したいほど痛い!」と書き綴っているのを読んで「私はズッと幸せだ」なんて、やがてそんな時期が自分にもやって来ることも知らないで、他人事のように思っていたのである。鶴見さんは時折、NHKに出て話をされていたが、疼痛の話になって聞き手が「痛いでしょうね」なんて言おうものなら、彼女独特の言い回しで言ってたものだ。
「あんたになんか分かるわけないんだから、気休めはやめて頂戴」

今「その通りだ」と思う。この痛みと痺れの苦しみは誰にも分からないだろう
脳外科医でも分かった振りして「何ともいえない不快感なんでしょう」と言われたとき

心の中で「こいつ分かっちゃいない。お前なんかに分かってたまるか!」と心の中呟いていた。。


発病直後の左片麻痺には感覚もなく、痺れもなく、痛みもなかったが、そんな状態の中で少しずつ体に変化が現れ始めたのだった。先ず痺れが来て、次ぎに痛みが来たのである。

腕、肩、右顔面に鈍痛が少しづつ走り出し始めたのは、発症後6ヶ月くらいの時期からである。
腕、肩は少しは我慢できるが、特に左顔面は辛い。視野もおかしくなるのである。
最近は左手のひら痛むようになってきた。
この痛みはまるで拷問のようである。

手に赤く焼けた鉄板を押し付けられているような痛みである。

酷いときは「この痛い手首を切り落としてくれ!」と叫びたくなることがある

ただ寝ている時は鈍痛は多少なりとも和らぎ眠れる。
だが、朝 目覚めた時は痛みはほとんど無いが起きるとまた、鈍痛がおそってくると云う 繰り返しの毎日である。


この中枢性疼痛が始まった去年の6月ごろは、このまま生きていけるのだろうかと思っていた。
私は46歳、70歳くらいまで生きれるとしたらあと24年もこの疼痛と付き合わなければならないことになる。24年もこの疼痛に耐え続ける自信はなかった。当時は1年さえ精神力が持つ自信がなかった。
耐え切れず、いつか自分で自分の命を絶つのではないかと思っていた。
しかし、今、私は生きている。
不思議なものだ。人間は根底に生きようとする力があるのであろう。
特に6歳の息子を見ていると、「少しでも長くこの子の父親であり続けたい」
という思いが痛みに対抗してくれるのだ


自分の中に不思議な「生命力」を感じるのである。

しかし「長くはない」であろうということは実感している。

動物が自分の死期を予感できるというのは本当だと感じる今日この頃である。

あとは運命に任せよう。

そして、自分の運命が解き明かされるまで、精一杯生きることにしよう。


いつ死んでも、無念だろうが後悔だけはしないように・・