喪失から新たな創出が生まれる

僕は脳出血で実は「死んだ」のである。
今ここにいる私は以前の私でもない
「生まれ変わり」でもない
諸行無常・・
物もいつかは壊れる。人間いつかは死を迎える
日々何もかも変化している。この世に永遠に続くものなどない

星ももこの地球もいつかは消滅するのだ。

しかし、人は現在の「ごく普通の幸せ」が永遠に続くものとどこかで思っている

世の中の万物いつかは壊れ、消滅していく

人間もいつかは必ず死を迎える

人はそれが怖い、「自分」が永遠でありたい。なにもかも永遠であってほしい

そこから、宗教が生まれたのであろう。「神」の存在を信じたいことから生まれたであろうと思うに至った

キリスト教や、イスラム教は死んでも、「神の世界に召される」ことで苦しい世の中での「死」や「消滅」の恐怖から逃れたい心理から生まれたのではないかと思う

仏教の「輪廻転生」の教えは釈迦が、
「永遠でありたい」と言う気持ちから考え出したのではないかと思う。
つまり、死を迎えても魂は残り別の何かに生まれ変わるんだと信じることで、肉体は滅んでも魂だけは残り、別の生き物に宿るということで、釈迦は「永遠」を信じようしたのではないだろうか。
でも僕は思う残念ながら、消滅や死は「無」になると思う
魂など存在しなくて霊魂などない。したがって、守護霊など存在しない。

昔は、肉体と魂は別物と考えられていた。
デこれはデカルトの人間二元論から長い間人間の身体や脳は機械の
ようなもので
そこに「魂(心)」が宿っていると・・

でも現代の脳科学で、心=脳であることがほぼ証明されている。
人間が何かを心で創造すると、脳の一部が活動することが実験で証明されている。
つまり脳=心=魂なのだ。
ということは死「脳死」は「魂の消滅」ではないか
そのあとには何も残らない「無」である。

でもその代わり
次に必ず全く新しいものが生まれるそれは過去からの「継続物」や
「生まれ変わり」などではなく、全く新しい「別物(別の生命)」が生まれるのだ。

それはすばらしいことではないか!

僕の脳の一部も一脳出血で一度度死んだから「元に戻る」ことはない
脳の可塑性【違う機能をつかさどる脳細胞が死んだ細胞に代わって
その機能をコントロールする役割を担うようになることによって
に全く新しい以前と違う新しい脳「身体機能」を生み出さなければならない
死んだ細胞に代わって今までの機能のコントロールする脳細胞は

そのコントロール方法を一から学ばなければならない。
コレは辛い、赤ちゃんから出直しだ

元の自分の身体機能にこだわっていても仕方がないのである。

新しい自分をゼロから作ることに励もう。少しでも新しい「機能」をコントロールする能力が生まれたらそれにに乾杯だ!


「失う」ことは人間にとって苦痛であるという。
欝の最大の原因は「喪失感」であるという

僕は、これまでの体力自慢の身体機能(水泳選手でした)の
喪失感、自分の会社の喪失感に苦しんでいた


今思っています。喪失したものに囚われていても仕方がない。
で次の新しい機能、新しい自分の獲得を目指そうではないか。

1つ獲得できればそれに喜びを感じようではないか
それこそ以前の自分とは切り離された、全く新しい人間の人生の始まりだ!

この新しい人間に何ができるのか。可能性は無限だ!

人は喪失感に苦しむ、喪失感から欝になるという

喪失こそ新たな創出の源泉だ!

と思うことにしよう