強い心であり続けるために・・

人間は苦境の空気が流れ続けると、心が弱くなる。

心が弱くなると、余計な行動に出る。

例えば苦境を他人のせいにしたくなるものだ。

そうなるとお互いに信頼関係を失い、争いになる。

強い心は明るい笑顔を作れる

心が弱いと相手許せなくなる。

ガンジーの言うとおり、許すということ強さの証であると思う。

心の弱さは、ときに悲劇を生む

その典型がヒトラーユダヤ人の虐殺である。


古今東西、世の中に「苦境」の空気が流れれば、
それを「誰か」のせいにしたくなる人々が出てくる。
第一次世界大戦後のドイツでは、その「誰か」とはユダヤ人であり、
その空気がナチスの擡頭をもたらした。
ナチスの擡頭と第二次世界大戦は、
古くからの反ユダヤ感情に「ユダヤの連中なら、やりかねん」」といった類の
陰謀論が招いた災厄であった

今、世界はなんともいえない苦境の空気に包まれている感じがする。


リーマンショック地球温暖化、大地震の多発、政治の崩壊・・

こういうときこそ強い心が必要なのではないか。

強い心は笑顔を作り、信頼を生む、信頼は(前向きな)団結を生み、

苦境を乗り切るアイデアや発想を生む。


僕も正直、苦境である。

障害者・・いつのまにか・・
約1年半前に脳出血で倒れてからがむしゃらに、前へ前へと自分自身を引っ張り
左半身麻痺、猛烈な痺れ等と戦い、突き進んで来たつもりではあるんですが、
今だに倒れたことを納得していない・・・
「こんな状態に陥ったのは、誰かのせい」と考えてしまう立ち止まったままの
もう一人の自分もいます。

今こそ強い心を持ちたい。。


幸福とは、旅の目的地のことではなく旅のしかたのことである




心配とは、ロッキングチェアのようなものだ

私たちをせわしなく動かすのだが

どこかへと運んでくれるわけじゃない




平和は、ほほえみから始まります



私の考えは間違っているでしょうか?

いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら

愛が原因で間違った方がいいと思っています

世界の平和は、まず家庭の平和から始まります


われわれは外部からの悪には憤慨するけれども

いつも自分 の支配下にある自分自身の悪とは

いっこうに闘おうとしない





人生はどちらかだ

勇気をもって挑むか、棒にふるか。



人は神ではない。
誤りをするというところに人間味がある。

人間性とは大海である。仮に大海の一滴が汚れていたとしても、
大海そのものが汚くなるわけではない。



心配しているとき、
あなたは何をしていると思いますか?

そうなっては困ることに一生懸命になっているのです。

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない