人を動かす | 妻と息子の風景と偉大なわが父の存在

今朝、家内が息子に怒っていた。。
学校に行く時間が迫っているのに食べるのが遅い・・
「牛乳取って」「スープの味薄い」とか息子がブツブツいうので家内が切れた!

「いい加減してよ!ママだって朝から洗濯とかで忙しいんだから!」

「早く食べなさい!」
「もう学校行く時間でしょ!」
家内は野菜ジュースを取って息子のグラスにいれた。
息子も逆切れ・・
「もう牛乳って言ったでしょ! 牛乳くらい取ってくれたっていいじゃないか!」
まだ6歳だが一丁前に口ごたえするようになったもんだ。。と感心した。

朝っぱらから母子のバトルである。僕はは隣りで呆れてみていた。

家内も自分が忙しいのだったら、もう少し上手に息子を動かせば良いのに・・

今日、こんなどこにでもある家庭内の風景を見て思った。

人を動かす・・

これは人間社会の中で重要なことである。

自分の思うように人が動いてくれたら、、これは強い力である。

部下が、仕事の同僚が自分が思うように動いてくれたら、何で思うように進むであろう。


カーネギーの「人を動かす」という本がある。読んだことはない。

でも僕はこのことを父から学んだ。

父はもう74歳


それでも小さな縫製工場で従業員のおばちゃん(おばあちゃん?)4人で営んでおり現役である。

この不況でも小さい量だが仕事が来る。従業員は少ないし、それで十分なのだそうだ従業員に給与を払うと残るのはたった数万円
父母は、国民年金(法人ではなく個人事業だったので厚生年金はない)とその数万円で生活している

50年前に建てたボロ家だが持ち家があるので家賃もいらないのそれで十分生活ができている

という野菜は近くの畑を借りて自家菜園であるので、ほとんどスーパーでは買わないので

食費もほとんど出費はないこういう生活が情けないと思うかどうかは価値観の問題である。

親父は十分満足してているようだ。


確か5年ほど前だが、まだ従業員が15人くらい居たころ父は廃業を決めた。
毎年赤字続きだったからである。

仕事をやればやるほど毎年1000万近く赤字になるという状態だったからである。


そのときの工場は閉鎖した、ミシンも売り払ったというより廃棄である。

でもこれからは夫婦ふたりで内職のようにできる仕事していこうということで、ミシン4台だけは残しておいた。

ところが、従業員の中からいつまでも仕事はしていたいから、仕事のあるときで良いから仕事をしたいという人が2人名乗りでてきた。

それで、、小さな6畳ほどの小屋を作りそこで、仕事をすることにした。毎月仕事があるわけではない

全く仕事のない月もある。それでも、昔の親会社から仕事の依頼が来るのである。

もう他に頼むところがないからである。


その地区は昔100件以上の縫製工場があった縫製の町であった

でも今はい親父のたった4人でやっている1軒だけである。


親父は昔から「断らない」「怒らない」人であった。どんなに安い工賃でも仕事を引き受けた。

そのことで、母と大喧嘩を何度もしていたことを覚えている。

母にすれば毅然として断るときには断ってほしいとか、

親会社からの支払いが遅延たときくらいは怒ってほしいという気持ちで

いつも頭を下げている親父を情けなく思っていたのだろう。


親父は昔から父本当に頭が低かった。何でも引き受けた。

僕自身も親父のことが歯がゆかったことがある。


でもそのことが結果的に、今でも仕事をもらえるという状況を作ったのであろう。

今は、5年前まで一生懸命仕事をして赤字を出していたことを思うと天国だという

小さい仕事だが自分の小遣いに」なるというのだ。。

昔、自分よりも大きな工場を建ててクラウンを乗り回していたような社長は

ほとんどが負債を抱え、家も競売にかけられ、病気で寝込んでしまったりしている悲惨な状況

であるという、


1000万赤字を出すより、5万の収入の方がずっと幸せだというのである。


親父のこの「頭の低さ」が信頼につながり、結果的に「人を動かす」ことができているのだろう。


僕思っている。

僕は人を動かす大切な秘訣は2つあると思っている

もちろん相手が利することで動くが、

しかし「利」で動く人は「利」がなくなったとたんに動かなくなる

裏切られる


「利」ではなく、「感謝」である。

人は「感謝」されることで非常に喜びを感じるのである。

なざなら、自分が「人の役に立っている」と思えるからである。

人間は人の役に立っているといことを感じることがでいなければ、全く生きていけない。


僕自身がそうであった。半身不随になってしまったとき、
もう役に立たない人間になってしまった。

感じた。そうすると死にたいと思うのである

息子に父親として役割を果たせない。女房に夫としての役割を果たせない。

息子とキャッチボールをしてあげられない。とか

重い荷物を持ってあげられない  とか

そういう些細レベルのことができないことの方がつらいのである

「こんなこともできなくなってしまったのか」という絶望感を味わうのである。

役に立たない人間であると感じた。。


そしてあるとき、息子に片手だけがんばって、紙飛行機を作ってあげ、作り方を教えてあげた。

そのとき息子に「ありがとうパパ、また作ってね」と言われた

このときは涙が出るほど嬉しかったのを覚えている。

「ありがとう」

この言葉を聞いたとき、

息子に感謝されている

父として、息子の「役に立っている」と心から感じることができた。

まだ自分には、息子にはない「知恵」という役立つものを与えてあげることができるではないか。

紙飛行機くらい、いくらでも作ってやるぞと思った。


「人に感謝してもらえれる」これほど人間を動かすものはないと思う。


「ありがとう」

このことばである。

親父は本当によく他人に「ありうがとう」と言っていた。

親父は中学出で丁稚奉公に田舎から出てきおり、自分で「(学)がない」というコンプレックスをもっているようだ。

だからこそ自分にできないことをshじてもらったことに「感謝」するのかも知れない。

してもらったことの結果が自分の意に沿わない結果になったとしても「自分に代わってしてもらったこと(労してくれたこと)」に対して感謝するのだ。


今でも実家に帰ると、その町では親父のことを悪く言うひとはいない。親父自身も感謝されている。

字もろくに書けないのに自治会長に推され、お袋の反対を押し切って、頼まれたのだからやると言ってやっていた。

僕も今は、できる限り「ありがとう」ということにしている。

たとえ、やってもらっことが、自分の意に沿わなくてもだ。

あると親父は言っていた「褒めること難しい、だから滅多に褒めることはするな感謝しなさい」

なぜなら、褒めることは相手を自惚れさせてしまうからだというヘタをすると嫌味にもなりかねない。



倒れる前、自分の会社の社員に対しても、社員がやった仕事の出来が悪く、
心の中では「こんなやり方したらアカンやんけボケ」と思いながらも、
結果にではなく、自分に代わって「労」してくれたことに対して、
できる限り、「ありがとう」と感謝の意示すことに心がけていた。

結果が出ないのは自分の指導の仕方が悪かっただけである。

そして、自分が脳卒中で倒れた後の処理だが、社員たちは本当によくやってくれた。

何も教えていないのに驚くべき適切な処理をしてくれた。

これには本当に感謝であった。

そして半身不随者になった今、すべてに対して感謝しなければならない。

感謝しても感謝し切れない今日この頃なのである。

それにしても親父は74歳で現役ある。


僕はそこまでいけるだろうか。

親父には「徳」があると思う、。

小さな縫製業を営む父だが中学出の父だが、

この父に大学を出してもらった僕は、

この親父の持つ「徳」を永遠に乗り越えられないだろうある

僕にとっては誰よりも偉大な父である。



とにかく今はすべてに感謝しよう。

「欲」を出してはいけない

「欲」は見透かされる
少しでも「欲」や「エゴ」がちらつくと人は動はかなくなる。


僕はもはや、一人では生きて行けない身体である。

やすべての人に感謝である。


タクシーの運転手にも感謝


顔は知らないが、ICカード自動改札機を開発してくれた人にも感謝


これからの人生どこまで周りに感謝し続けられるであろうか。

まだまだ心の未熟さを感じるのである。